〓〓〓〓2005.1.22〜2004.10.6の『ぶつぶつ日記』〓〓〓〓

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◇2005.1.22(土)『呼ばれたか?』
 現在修復中の薬師如来坐像は、江戸時代頃の修理でお尻の下をかさ上げされて、少し前傾させられていました。江戸時代に入ると、お堂の様式の変化によって、礼拝空間が変化し、像を高い壇上に上げるようになり、像の目線を礼拝者に合わせる為に、像の角度を変える必要が生じ、このような修理がよく行なわれています。これによって本像は、背面材と膝前材の3点でしか接地しておらず、膝前材と体幹部材の矧ぎ目にかなりの負担がかかっていたと思われます。矧ぎ目が離れた場合には、体幹部が前に倒れる危険があったのでした。それは、そう遠くない時期に起こったであろうと思われます。そこで、様々な処置を講じて構造を強化しました。

現在修復しているお像は数々の偶然が重なって、修復を依頼される事になったので、何か「呼ばれた」感じがしました。

◆2005.1.20(木)更新情報釈迦如来坐像の修復
 長年積もった表面のホコリとススの汚れの除去と、光背・台座の欠失部分を新しく補うのに非常に苦労した物件です。

◆2005.1.17(月)更新情報東北芸術工科大学 文化財保存科学コース卒業生専用掲示板
 
私の卒業した東北芸術工科大学 文化財保存科学コースの卒業生も様々な修復工房・研究機関に所属するようになりました。学会では、顔をあわす事もありますが、なかなか突っ込んだ話をする事はできません。そこで、卒業生専用の掲示板を設けて情報交換の場として使って頂けたらいいなと思って試しに始めてみました。御登録下さい。

◆2005.1.16(日)『文化財保存修復学会防災セミナーに参加してきました』
 
文化財保存修復学会の防災セミナーが新潟県の長岡市の近代美術館で開催されたので参加してきました。新潟にはそんなに会員がいらっしゃらないし、宣伝も全くされていないので、全然人が来ないかと思いきやかなりの人数の方がおいでになっていました。

この次に地震が起ったら、どうすればいいかという、お決まりの議論に終止するのかと思いきや、行政担当の方々から、かなりつっこんだ事まで、言及されており、非常に興味深い研究会でした。

県の文化財担当の方からは、市町村の担当者が避難所のお世話などに謀殺されて、文化財の方に手が回らなくなり、本来は職分の違う、市町村の文化財にまで地理不案内の中、被害確認に奔走したというお話し。や、文化財の保存に関わる人間として、個人的見解としては、指定・無指定の線引きをして文化財の保存にあたりたくない。というお話し。お話の中からは、かなりお仕事が大変だった事がうかがわれました。

新潟県歴史資料救済ネットの方からは、市町村の文化財担当の方や、大学機関、学生などで構成されるボランティアの集まりが、市町村からの依頼を受けて市町村の手伝いを行なうという方式で、倒壊しそうな土蔵の中から、歴史資料(中にあるものはほとんどなんでもかんでも)を救い出して保管する作業を行なった経過報告。この方式はボランティアによる活動をうまく機能させる良い方法だと思いました。

古志の会の方からは、民間の歴史研究会の観点から地域に根ざした文化財の被害の記録。路傍の石仏や小さなお堂などのさまざまな「大切なもの」の被害を簡便な方法で記録していく手法のお話。行政の保存活動の手の届かない所を補っていらっしゃいました。

お話の中で、今回の中越地震における文化財のレスキューはかなりうまく機能していた印象を受けました。県と市町村とボランティアと民間がかなりうまく活動されていた事がうかがえました。

結局、災害時の文化財の保存活動に一番必要な事は、『どこに何があるかを知っておく』という事に尽きます。平時において、指定無指定にかかわらず、調査を行なって、所在の把握を行なっておく事が必要です。これは、毎回言われていることなのですが、なかなか進みません。

◆2005.1.9(日)『お寺の新年会』
 
現在修復を行なっているお寺の新年会?に参加させていただきました。世話人の方が20人も集まり盛り上がりました。この熱気を感じ、修復を行なった後もお仏像が末永く後世に守られていく事が実感出来ました。結局修復家は仏像を守り伝えるお手伝いをするだけで、実際に守っていかれるのは寺院とその周辺の地域の方々なので、檀家の方々と御会いする機会を持てて本当によかったです。

修復やお仏像について少しでも興味を持っていただけるよう、修復の経過報告も手短かですがさせて頂きました。みなさん近くでお仏像を拝まれた事がないので、修復前の写真や損傷の写真を見て、損傷の大きさに驚いておられたようでした。
しっかり直すよう叱咤激励されました。

◆2005.1.8(土)『東京国立博物館でインターン募集』

東京国立博物館で 将来学芸員を目指している大学生・大学院生(博物館実習を修了済みの方)を対象に、 インターンシップ(2月〜3月の3週間以上)を募集しています。「展示デザイン」「出版企画」「教育普及」「広報」「展示」「保存修復」 など様々な分野の中から、実務を経験できるようです。
1月21日必着。詳しくは東京国立博物館のHPを御確認下さい。

東博でこのような経験をさせて頂ける事は今まで無かったので、画期的です。私も学生だったら応募してみたかったです。

◆2005.1.6(木)『北方文化博物館を拝観してきました』
 今日は、仕事をしているお寺からほど近い、北方文化博物館(豪農の館)を拝観してきました。祖父が若い時分にお世話になっていたところで、近くで仕事をしているので一度、館長さまに御挨拶に伺おうと思っていましたが、やっと念願がかないました。祖父の事を知っている方は、すでに館長さまともうおひとかたしかいらっしゃいませんでした。

 この博物館は、豪農の伊藤家の建物を公開し、その調度や、掛け軸などを公開しています。とにかく建物・庭にすごく贅をこらしています。往時の生活が偲ばれます。感嘆するばかりです。

 この博物館内の集古館という建物に、お仏像が何体か安置されているのですが、一体前々から気になっているお仏像があります。等身の藤原時代の大日如来坐像という紹介がされています。大学時代にこれはなかなかよいなと思っていたのですが、今回、大分経験を積んだ目で見ると、やはりなかなかよいお仏像でした。膝前と法界定印を結んでいる両腕は後から補われている可能性がありますが、体幹部は平安中期のお仏像です。保存状態も良く、耳のかたちもしっかりと残っています。時間も忘れてしげしげと眺めてしましました。

◆2005.1.5(水)『新潟県長岡市で文化財保存修復学会の講演会があります』
 1月16日(日)に先の中越地震の文化財の被害の現状と救済活動報告を『文化財保存修復学会防災セミナー<被災文化財を救う為に>』という演題で、長岡市の新潟県立近代博物館で行なわれます。多分一般の方でも聞けます。私も丁度新潟で仕事をしている最中でしたので参加してみようと思います。詳しくは展覧会・講演会情報のページを御覧ください。

◆2004.12.28(火)『ネットと接続できました』
 しばらくネットに繋ぐ事が出来ずにいましたが、やっと繋ぐ事ができました。

◆2004.12.27(月)『次の修復に備え』
 
現在修復しているお薬師様は、長らく秘仏として、年1回の御開帳に暗い厨子の中のお姿をかいま見る事が出来る程度にしか、近隣の方には、拝観する機会がありませんでした。また、江戸時代の昔に像の修理をして、玉眼を入れ替えようとした仏師が目が潰れて死んだ等の(彫眼の像なのですが。。。)、恐ろしい言い伝えがあり、お年寄りの方は、近くで拝観する事を遠慮なさいます。そして、今回の修復は急に決まった事で、修復をしている事自体知られていません。なのであまり、お堂の横の建物で修復している割には作業を見学にみえる方はいません。
 そこで、修復している事を少し近隣の方の目に触れるようになればと思い、元旦から作業をしてみようと考えました。「そういえば、俺が子供の頃初詣に行ったら、お堂の脇でお薬師さんの修復をしてたなぁ」と何十年か後に思い出されるのが理想なのですが、どうなるでしょう。そういうことで、何十年か後にまたお像の修復が行なわれればいいなと思います。やはり、50年に一度ぐらいは小規模な修復が必要だと思います。どのお像もそのようにして伝わってきているのです。

 今回の修復は、現地で長い期間行なっているので、毎日修復の様子を御覧頂けるので、お寺の方とも意見の交換が出来、とても面白いです。

◆2004.12.26(日)『文化行政への疑問』
 最近は市町村合併が盛んに行なわれていますが、これは文化財の保存にとって良くない風潮です。大抵合併すると、文化財担当の人員は今まで携わっていた人員を足した数にはなりません。減ります。1足す1が2にはなりません。予算も同じです。確実に一番最初に減らされます。予算も人も減るのでこれまで以上に文化財保存が出来なくなります。

また、欧米の国には、王立や国立で国の宝を修復する所を持っていますが、日本には国で運営している文化財の保存修復施設はありません。修復費用の補助の仕組みはありますが、国立博物館の中で修復を行なっている工房は全て外の民間の業者です。また、全ての国立博物館も文化財研究所も何年か前に独立行政法人化され、独立採算が求められています。研究、保存、展示の場からアミューズメントパーク化、サービス業への転換を図らなくてはならなくなりました。

利益が上がらない基礎研究の部分が大事な場合もあります。利益優先の国の方針には疑問が残ります。これからの文化財の保存が危ぶまれます。歴史や文化といった利益を生みにくい部分は切り捨てられていく国になってしまいそうです。

◆2004.12.25(土)『仏像の耳』
 仏像の時代鑑定をする場合に、耳を見るとその特徴がよく出ています。しかし、古いお仏像で孔のあいた耳たぶまでちゃんと残っているのはなかなか珍しいです。弱い部分なので、破損している事が多いからです。今回修復する事になったお仏像は、耳がきちんと残っていました。かなり保存状態がいいです。形から平安時代末期とみています。
耳の形で時代判定を行なうという手法は西欧でも行なわれているそうです。

みなさんも博物館等に行った折には、お仏像の横に回って見比べてみて下さい。

◆2004.12.24(金)『新潟で出張修復』
 現在新潟市の近くのお寺で、修復を行なっています。像高110cmの薬師如来坐像です。虫食い穴が散在し、頭部の螺髪がかなり傷んでいます。今回の修復では、寺院や町の意向もありまして、表面の後補の布貼り弁柄彩色は除去せずに、応急的な修復を行なう事となりました。それでも大きなお像なので現地で3ヶ月程滞在する事になりました。
構造的にも古風なお像です。以前の調査の折には、平安末期〜鎌倉という評価で指定を受けていたようですが、平安末期でよいのではないかと思っています。詳しい事は追って御報告できればいいです。

頭体幹部は、竪一材からなり、背面に材を寄せる(後補)一木造り。後ろ頭から内刳りを施し、体幹部の内刳りは頭部に繋がらない。割首なし。
後頭部の螺髪は省略し、肉髻頂部の螺髪を彫出していない。

◆2004.12.19(日)更新情報即身仏・ミイラの研究書
 大学時代に興味を持った即身仏・ミイラの研究書を紹介するページを作りました。

◆2004.11.25(木)『漆かぶれ』
 
このところ漆の作業を行なっているのですが、きちんと油で手を洗わずに3ヶ月の息子を触ったら、漆にかぶれて、首にポツポツが出来てかゆそうにしていました。私と妻はほとんどかぶれないので気にしていませんでしたが、かわいそうだったなと反省しました。私がかぶれた時はウナクールを使ったりします。アロエの石鹸がいいという人もいます。サワガニを潰した汁がいいという本もありました。みんなそれぞれいろいろな方法を見つけていますが、赤子なのできちんと皮膚科に連れて行くことにしました。

◆2004.11.22(月)『キトラ古墳の修復』
 
昨日NHKスペシャルでキトラ古墳の壁画の修復の模様を特集していました。壁画が今にも崩れそうな状態であったことから、一部分を剥がして保存していく方針がとられたようです。高松塚古墳の時は、石室の中を完全空調し、保存環境を整える為に莫大な費用を投入して大きな建物を作り保存してきました。しかし、石室を完全に古墳とは切り離していないので、土を通して雨水が石室内に染みており、カビの害から遮断できませんでした。着実に壁画は劣化しています。
今回のキトラ古墳の場合はこうしたことを踏まえ、また、白虎と青龍の絵の部分がすでに大部分が剥がれかけて崩壊寸前だったことから、剥ぎ取って保存を行なう事にしたようです。この措置は賛否があるところかもしれません。その石室の中で保存していく事がベストなのですが、高松塚の例のように、絵が失われていく事が分かっているので。剥ぎ取って絵の部分だけでも保存していくという選択なのでしょう。
作業していた山本記子さんは東京国立博物館の修復室の方で、表具の修復をなさっているので、壁画までおやりになるとは知りませんでした。この仕事は技術的にも精神的にも高いレベルが必要になります。剥ぎ取る作業はかなり大変そうでした。今後の修復作業が待たれます。

◆2004.11.20(土)『墨書 資料の蓄積』
 この間納入しました、僧形文殊菩薩の墨書について、彫刻史の専門の方がこのホームページを御覧になって興味を持って頂き、修復報告書を先日、御覧頂きました。そこで、私には解読出来なかった文字を、解読していただくことが出来ました。文字が大分欠けており解読不可能と思っていた文字まで解読して頂き、感激しました。自分の不勉強を恥じました。

現在、『日本彫刻史基礎資料集成』という本が中央公論美術出版社というところからでていますが、これは、平安・鎌倉時代の像内に墨書のある仏像を集めた資料集です。基準作例となります。今後、室町時代以降の資料も貴重なものとして集めていかなくてはならないそうです。今回の僧形文殊菩薩の墨書もそんな資料の一つとなることを期待いたします。

◆2004.11.17(水)『東京国立博物館を満喫』
 本日、東京国立博物館に用事がありまして、お訪ねしがてら、その折に頂いた券で、『中国国宝展』を見学して参りました。意外にもかなりの数の仏教美術、仏像(石仏)が展示されており、平日だというのに大変混雑しておりました。この中国の仏教美術を展観していて感じたのは、作品の中に物語り性があるということでした。その仏単体ではなく、その周辺の物語をも表現しているものが多くありました。日本の仏教美術には無い面白みがあると言えましょうか。
この特別展、作品制作をしている人には特にお薦めします。参考になる事がたくさんあると思います。(11月28日までやっています)

東京国立博物館の常設展示は、随分模様替えをしておりました。彫刻作品は別の部屋に移動しており、照明の凝った展示になっていました。入り口には新発見の運慶の大日如来が展示されており、後ろにも回って拝見出来ました。髻の模様、腰の部分の締め方等「うまいなー」と感心する部分が近くでよく見られました。西光院の三尊もいました。この像は台座まで完全に保存されている平安末期の貴重な作品です。他にも見どころ満載です。一つ残念に思ったのは、彫刻のスペースが前よりも少なくなったことでした。

「保存と修理展」の方は、修復の作業が見えてくる展示にはなっておらず、一般の方には分かりにくい展示となっていました。仏像の修復作品もないので少し残念でした。

そんなこんなで東京国立博物館を満喫した一日でした。

◆2004.11.7(日)更新情報
 
展覧会・講演会の情報を更新いたしました。

◆2004.10.30(土)『光背の資料』
 現在江戸初期と推定しているお仏像の光背を修復しております。その光背は小さいながらも、透かし彫りを施され迦陵頻伽(かりょうびんが:上半身は菩薩で下半身は鳥。天使のようなもの)が彫刻されています。実に細かく、『うまいなー』というのが第一印象でした。周縁部のの約半分が欠失しており、これを桧で彫って補わなくてはなりません。今回は残っている部分を参考に、復元が可能なのですが、いつも困るのが、台座・光背の復元の際に参考にする写真資料です。

展覧会の図録等ですと、大抵台座・光背は写真から切れてしまっていて、見えません。古いものならば台座もきちんと写していることもありますが、特に江戸時代の後補のものならなおさら写っていません。また、江戸時代の仏像はなかなか展覧会には陳列されません。江戸時代のものの写真資料が乏しいのが現状です。
江戸時代の台座・光背はバリエーションに富んでいて、様々な形をしています。概観すると、幾つかに分類出来ますが、研究中です。

私の場合は古本屋で買ってきた本を資料として保存する、いうなればアナログアーカイブを行なって、資料の確保をしています。それでもなかなかないものです。

◆2004.10.26(火)『僧形文殊菩薩納入』
 僧形文殊菩薩の修復が完了し、納入してまいりました。お寺の住職様にも喜んで頂く事が出来ました。墨書の事も説明させて頂き、町の文化財担当の方にも、御報告いたしました。
墨書の中に『聖僧』という文字があり、このお像が座禅堂に置かれて、座禅する修行僧を見守ってきたお像だったいたという事が分かりました。また、現在のお寺の建物は、火事に会い200年前に立て直されたそうで、火事の折に、このお像を助け出した方がおられた事が想像出来ます。その時に台座が無くなってしまったのでしょうか。

この寺院にはもっと古いと思われるお地蔵様がおられるのですが、これは、近年の塗り直し修理が施され全身金ぴかにされてしまっていました。御住職様は大変残念に思われていました。何年か後に多少傷みが出てきましたら、下の状態が分かり、塗り直し部分を除去して、像本来のかたちを取り戻す事ができるかもしれません。

今回の地震が起きる何日か前には、震源に近い場所の寺院をお訪ねしており、心配が募ります。今年、新潟は台風の被害も出ておりますし、大変な一年でした。何か御協力できる事がございましたら。御一報下さい。

◆2004.10.16(土)更新情報僧形文殊菩薩の修復
 先日、報告いたしました僧形文殊菩薩の修復報告を、新しく修復例のページに載せました。

 彫眼。裳掛け座の衣紋のかたちが古風。また、先日書きましたように構造的にも古風なものを持っているので、室町時代の作ではないかと推定しておりました。『永正15年』という墨書の発見でお寺の方にも喜んでもらえ、今後の像の保存にも役立つと思われます。

◆2004.10.12(火)『墨書発見!』
 
今日、修復している仏像を赤外線カメラで観察してみました。すると、膝前材の裏に墨書が、、、その部分は真っ黒で、肉眼で見ると字なんて見えないのですが、赤外線ではっきりと、『永正15年』(1518年 室町時代)の文字が見えました。他にもお寺の名前や、聖僧、檀那や人の名前が確認されました。科学の力を再認識しました。

 この仏像は一木割り矧ぎ造りで割首は無く、体幹部前面材地付きに心束を残し、前後材の接点を像底付近に残すなど、古風な構造を有していました。裳掛け風の衣紋を持つ、僧形の文殊菩薩としてお寺に伝わっているものでした。この修復の概要については後日報告いたします。
 この仏像を、室町末期と推定していたので、自分の時代鑑定が的中した事も喜びの一つとなりました。

◆2004.10.10(日)更新情報『展覧会・講演会情報』
 
東京国立博物館で文化財の修復に関する展示があります。また、それに伴って講演会やギャラリートークももようされるようですのでお知らせいたします。特に修理室への見学ツアーみたいなものもやるようです。対象年齢別に分けて、何コースかあり、対象小学5・6年というのもあり、底辺の拡大が期待されます。

◆2004.10.10(日)『デジタルアーカイブ』
 今日び、デジタルアーカイブといって文化財の情報をデジタル情報で後世に残すという事が盛んに行なわれている。高画質の写真であったり、映像であったり、三次元のデータであったりである。これらに何千万円という予算がついて研究がなされている。

 ううむ非常に羨ましい話である。でもなにかおかしい。それだけの予算があればたくさんの可哀想な破損した仏像を修復する事ができるのに。。。でも、社会の中では、デジタル技術の方が利益を生み、必要とされているのか。文化財自身を残して行くのが最優先なのではないのか。
 高画質の写真や映像を見るだけで文化財知ったという事になるだろうか。実物がなくなっても映像で残っているからいいという事にはならない。実物を守る事が最優先のはずである。

 だれか仏像を守っていく為に予算をつけてはくれないだろうか。

◆2004.10.6(水)『円覚寺探訪』
 今日、円覚寺を拝観させて頂きました。菩提寺の住職様の御好意により、特別に拝観させて頂きました。中でも舎利殿(国宝)は良かったです。こじんまりとした建物なのですが、すみずみまで職人の心意気が行き届いていて、垂木や虹梁、高欄、柿葺き(こけらぶき)の屋根の写真を土門拳のように撮りたくなりました。

11月の文化の日前後には一般にも公開されるそうです。

 柿葺きは以前に修行していた工房で花御堂(花祭りの時にお釈迦さまの入るやぐら)の修復をした時に扱ったことがあるのですが、なかなか大変な作業です。まず沢山の柿(こけら)を作らねばなりません。素性の良い目の通った桧を割って板を作っていくのですが、かなり良い木でないときれいな板に割れません。余りの木切れで作れるというわけではないのです。これを気の遠くなる程、木釘で止めて敷き詰めます。そのように手間をかけるとあのように綺麗な曲線と反りが生まれるのです。すごく贅沢な屋根です。
柿葺きの屋根を見る度にその時の苦労を思い出します


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