〓〓〓〓2006.5.21〜2005.4.18の『ぶつぶつ日記』〓〓〓〓

HOME過去のぶつぶつ日記2006.7.1〜2005.4.18の『ぶつぶつ日記』

◆2006.5.21(日)『お仏像の公開に行ってきました』
 前述の御仏像公開初日の朝に拝観して参りました。御像はお堂の中心に、ぐるっと一回りを間近に拝観できるように安置されていました。こんなに御仏像を近くで拝観できることはまずないです。
御像の修復箇所に関しては全く不具合が無く安心しました。
平日の朝にもかかわらず、沢山の人がおいでになっていました。鴻巣は仏像や古い文化に対する関心が高い地域だと感心しました。観覧されている方達の印象などをお聞きしたいと、耳をそばだてていたので、周りの方には少し怪しまれました。

◆2006.5.5(金)『お仏像の公開』
 当工房で修復させていただきました、埼玉県指定有形文化財「木造安達藤九郎盛長坐像」が修復を記念して公開されます。

日時:2006年5月19日(金)・20日(土)9:00〜14:00です。

基本的にこのHP内では御仏像の所在地を書かないので、ご興味のある方は、鴻巣市役所のホームページ内の広報「かがやき」平成18年4月号のページ
(http://www.city.kounosu.saitama.jp/kouhou/pdf.htm)をご覧下さい。私も久しぶりに対面させていただこうと思います。


◆2006.5.4(木)『プロジェクターがやって来ました』
 修復報告や、仏像の修復についてご説明させていただく機会が増えたこともあり、プロジェクターを購入しました。(中古の小さいやつすが)。画像をスクリーンに投影する機械です。これでどんなところででも、パソコンに取り込んだ画像を使ってご説明できます。

◆2006.4.28(金)『見学』
 現在修復中の御仏像の施主様が見学にいらっしゃり、修復状況をご説明させていただきました。現在のところ部材の解体を終えて全てばらばらの状態で、修復工程の中でも一番混沌としている時期でした。一般の方にはどこがどうなっているか分かりにくかったようです。特にに今回の御像は江戸時代末期の二天像で、一体あたり100個もの部材で構成されていました。

◆2006.4.27(木)『釘抜き』
 釘を抜きました。江戸時代の台座(下の写真の。邪鬼、岩座、框座の三段))二つでこの量480グラム。結構な量です。和釘と明治以降の修理時の洋釘の両方が打ち込まれていました。一番長いもので10.5cmこれは抜くのが大変でした。

全て除去しないと錆で膨らんで、材を割ってしまったり、周辺の木質を炭化させてボロボロにしてしまったりします。
                    

◆2006.4.12(水)『新潟・山形縦断行』
 仕事と休暇を兼ねて新潟から山形を縦断してきました。途中、桜が満開のところや、まだ雪がたくさん残っているところを通り、季節の変わり目を楽しみつつのお仕事でした。今回の仕事についてはまた後日に掲載できるといいです。

◆2006.4.1(土)『仏像修復友の会 本運営開始いたしました。』
 会員の皆様にはご連絡させていただいておりましたが、「仏像修復友の会」の本運営を開始いたしました。修復報告書をご購入されるようにお気軽にご入会下さい。出来るだけ分かり易い報告書を目指しています。今回新たに「埼玉県指定有形文化財 安達藤九郎盛長坐像」の報告を増やしました。

◆2006.4.1(土)『最澄と天台の国宝』
 東京国立博物館に「最澄と天台の国宝」展を観覧してきました。沢山の仏像、絵画、書などが展示されており、見ごたえがありました。写真でしか見た事のない御仏像を実際に拝観して再発見したことが多くありました。3つ例を挙げたいと思います。

@横蔵寺の大日如来
  私の見ていたこの御像の写真は下からあおって撮られたものだったらしく、もっと大きな像だと思い違いをしていました。実際の御像は均整のとれた、出来が非常に良い御像でした。1183年に筑前講師が造像したと像内墨書より知られ、1176年に運慶が造像した円成寺像にも共通する特徴があります。この作者「筑前講師」とは誰の事なのか謎ですが、慶派の中でも相当の手練れです。

A善水寺の薬師如来坐像
 以前修復に関わった御仏像の参考になるとお聞きしたことのある本像でしたが、その御像とはかたちが全く違い参考にはならなかったと再確認しました。本像は腹、胸、腰、耳、等々非常に古いかたちを持っている御像でした。(像内納入品から993年に造像)@の横蔵寺像の鎌倉時代のかたちと比較してみても面白いです。重厚感と古風なかたちをお楽しみください。

B瀧山寺の梵天・帝釈天
 1201年に運慶とその子息湛慶が造像した本像は、後世に施された彩色によってかたちが甘くなっており、この像本来の彫刻が損なわれています。いつの日にか、この彩色の下の本来の姿を拝観したいものです。

写真で見た事のある有名な御像が沢山展示されていましたが、実物を見ないと分からない事は多いなと感じました。皆さんも是非、本物を御展観ください。といっても、一才半の息子にはまだ展覧会は難しかったらしく、すぐに飽きて駄々をこねだし、観覧中のみなさんにご迷惑をかけてしまいました。

◆2006.4.1(土)『展覧会の図録』
 今回の「最澄と天台の国宝」展の図録は厚さ3cmと今まで購入した図録の中で最高記録でした。近年の展覧会の図録は厚くなる傾向があります。(値段も2500円と高騰の一途)

 残念なことに、中の写真は画像処理をして仏像の部分を切り抜いて、黒や白の背景に貼り付けたものが使われていました。技術的に向上して像の輪郭を削ってしまうということはないのかもしれないですが、どうも実体感がない気がします。また、光を一方向から当てていて、光が廻っていない部分は輪郭が見ずらかったりしています。そして、デザイン的に凝った解像度の高い写真を大きく載せているのですが、平安時代の造像当初の台座の部分が切られていたりとかしており、資料として少し物足りない。むしろ、写真自体が小さくても色々な角度の写真(像底なども)載せてくれた方が我々としては資料になるのだがと思いました。
一般の方はどのように感じておられるでしょうか。

◆2006.3.11(土)『神々と出会う』
 神奈川県立博物館特別展「神々と出逢う―神奈川の神道美術―」(2月18日〜3月26日・4月1日〜5月7日)を観覧してまいりました。迫力のある御像が所狭しと並んでいました。
神像は仏像に比べて、霊木信仰が影響したからなのか、一木造りで造像される事が多く、木材の持つ迫力が彫刻から感じられるような気がします。神像彫刻をこれだけ一度に展観できる機会は少ないです。是非ご覧下さい。

◆2006.2.24(金)更新情報『安達藤九郎盛長坐像の修復
 埼玉県指定有形文化財に指定されております、鴻巣市の安達藤九郎盛長坐像の修復が完了し、お寺に無事納入させていただきました。半年以上もかかる大きなお仕事でした。県の指定品ということもあって、文化財審議委員の先生との打ち合わせを行いながらの修復となりました。高名な先生とのお仕事で緊張しましたが、勉強もさせていただきました。

 本像のレプリカ(修理前の状態)が埼玉県立博物館に展示されています。機会があればご拝観下さい。

◆2006.2.11(土)『寄り合い 文化財を活用した町おこし』
 埼玉県立歴史資料館で行われた寄り合い「文化財を活用した町おこし」を聞きに行ってきました。平泉町世界遺産推進室の方を中心に文化財を活用した町おこしについての講演でした。
お話の中心は遺跡・史跡の活用で町おこしをしている例についてでした。なかなか面白く聞けました。
ただ、文化財は町おこしという経済波及効果を見込まれなくても、保存していかなくてはならないものもあります。したがって、先に町おこしありきの考えは、人を呼べない文化財は価値が低いということになりかねません。文化財の価値までも経済原理が持ち込まれる危険があります。また、史跡整備中心の文化財行政に陥る危険があります。

私は仏像の修復を通じてお寺おこしまでは行えると思いますが、町おこしというところまではなかなか難しいです。地域のアイデンティティー向上というところまでです。もう少し広く影響を与えたいものです。

◇2006.1.21(水)『写真屋さんも職人仕事』
 修復報告書作成のための写真を現像に出しました。この間まで出していた写真屋さんは店長さんが変わってしまい、代わりのおばさん店員は、何度言っても被写体を中心に入れてくれません。文句を言うと機械のせいにします。そこで今回は、「カメラの。。」というチェーン店にしてみました。がしかし、どうしても、ファインダーいっぱいに撮った解体写真の端が切れて現像されてきます。
 修行していた恩師の工房で出していた写真屋さんは「ネガに写っていればたいがいは現像できる」とおっしゃって、倍率を調整して焼いてくれていたので、そのように出来ないのかと聞いたところ、「出来ない。そんな機械はない」との答えに、しばし虚しい押し問答。
 途方に暮れて近くの古びた写真屋さんに入り相談すると、「なんとかなる」との答え。やはり機械の倍率をいじって焼くとの事。チェーン店の店員は機械を使いこなしていないなと感じました。写真屋さんも職人仕事だったのだなと再確認。

 町の写真屋さんは、デジタルカメラが侵攻し写真を自宅で印刷出来るようになったり、現像料のみの同時プリントが行われる昨今では、生き残りが大変ですが、このように融通の利く写真職人は残ってもらいたいなと思います。解体写真は仏像の部材を広い面積の背景紙に全部並べて、真上から撮ったもので、結構手間暇がかかっています。せっかく苦労して撮ったのに切れてしまうと非常に悲しいので、よかったです。

◆2006.1.11(水)『企画展に行ってきました』
 埼玉県立歴史資料館で(嵐山町)で開催されている企画展「まほろばの里・比企〜慈光寺とその周辺〜」という展覧会を展観してきました。観覧料は、なんとたったの50円でした。慈光寺や周辺の寺院の木造仏が3.5躯と鉄仏、銅仏がそれぞれ1躯と小規模ながら、楽しめました。
 他には慈光寺の「法華経一品経」(国宝)や「金銅密教法具」(重要文化財)も展示されていました。どちらも鎌倉時代の華麗な工芸品です。以前に訪ねた折に埼玉の山の中に、このように古くて大規模な寺院があった事を非常に驚いた記憶があります。山の中のお寺なので、小さなハイキングにもなります。

その時、御住職様のご説明では、「法華経も密教法具も良いものはみんな東京国立博物館に持って行かれている。」とお話になられていました。どちらも、日本を代表する装飾経、密教法具として寄託されていますので東博にもお出かけになられるといいです。

◆2006.1.6(金)『仏像盗難のニュース』
 ここのところ、仏像の盗難のニュースを耳にします。浅草寺、寛永寺、西新井大師など大きなお寺での盗難がありました。文化財に指定されていることもなく、ニュースの中では、盗まれた仏像の写真が出てこなかったので、多分写真を撮っておられなかったのだと思います。これでは探しようがありません。
 自衛策として、御仏像の写真と像の大きさを記録しておくことをお勧めします。写真は単色の背景の前で前後左右の4面を撮っておかれるとよいと思います。仏像は同じものが一つとしてないと言っても過言でありません。同じ像種の仏様でもそれぞれ形が違います。どこかで見つける事ができるかもしれません。

罰が当たる事を考えれば、盗まない方が身のためです。

◆2005.12.23(金)更新情報『白山妙理大権現立像の修復
 白山妙理大権現の修復をさせていただきました。曹洞宗の中ではとても重要な仏様ということでした。実際お寺の裏には白山という山がありました。

◆2005.12.23(金)『ルーツ』
 お仕事させて頂く御仏像の所有者のご先祖様が石油採掘に関連していたことで、ひょんなことから、叔母より、私の曽祖父の事を聞く機会が持てました。私の曽祖父は石油の採掘技師で、新津の石油王の中野様のところでお世話になっていたそうです。採掘技術を外国人から習った日本の石油採掘の草分けの時代の人でした。技師であったことから、機械が好きで、当時では非常に珍しい、扇風機や蓄音機があるハイカラな家だったそうです。このような機会がないかぎり、曽祖父の事を聞くことはなかったと思います。
去年は、祖父に縁のある地域の御仏像を直し、今回は曽祖父の事を省みる。どうも呼ばれている気がしてなりません。

◆2005.12.17(土)『仏像搬出』
 先日作った梱包材を使って、新潟の方から仏像を搬出して参りました。雪が降る前にということで予定をたてていたのですが、ここ数日、寒気によって、12月としては異例の大雪が降ったと報道されていました。覚悟を決めて早めに家を発ったのですが、運良く今日は晴れ間も出て、暖かで、予定通りに作業を行う事ができました。明日からはまた大雪が降るそうで、間隙を突く事ができました。

 私の恩師は「仏像の搬出・搬入で雨が降った事はない。」と、いつもかなり自信を持って言っていました。一度だけ「雨降り観音」の搬入の時にはものすごい嵐になりましたが、確かに私がお供した間にも雨が降った事はありませんでした。私もこのジンクス受け継ぎたいものです。

◆2005.12.11(月)『梱包材』
 結構大きな仏像3躯と台座光背を運ぶ為に、梱包材として、紙座布団というふとん綿を薄葉紙でくるんだものを、100枚追加で作りました。綿にまみれて思ったよりも時間がかかり疲れました。
 仏像を梱包する時は、まず、薄葉紙2枚重ねでくるみ、紙座布団を全面にあてていきます。その後さらしを巻いて、しっかりと押さえこみます。

 さらしも追加購入しました。ひと巻き10メートルもある長い帯です。山形では、ホームセンターに行けば売っていたのですが、埼玉では置いてなくて、薬局にも行きましたが高級品で2本程しか置いてありませんでした。結局、赤ちゃん用品の売っている西松屋に行くと、安価なものがありました。レジに10本のさらし(腹帯)を抱えていくと、かなり不審そうに見られました。

◆2005.12.8(金)『文化財保護委員の方がいらっしゃいました』
 今日、現在修復中の御仏像を管轄する自治体の文化財保護委員の方が、作業状況の見学にみえました。3つの町・市が合併したばかりなので、保護委員の方も多く、合計11人の方がお見えになりました。仏像彫刻専門の方は、いらっしゃらないということでしたが、私の拙い説明をみなさん興味深くお聞きいただきました。失敗したのは、人数が多くて、それぞれの方がどのようなご専門か把握しきれなかったことです。次回はもう少し把握して、説明できればいいなと思います。

◆2005.12.1(木)『月刊誌「在家仏教」に文章を掲載していただきました。』
 在家仏教協会の刊行しておられる「在家仏教」という月刊誌の1月号に私の文章が掲載されました。
「コンピューターと上手に付き合う」というリレー特集で、「仏像の歴史を尊重した修復のために」と題して、このホームページの事について書かせていただきました。
他には高名な方々が執筆されており、非常に恐縮しました。

在家仏教協会様はホームページ上でも、早くからこのページを紹介して下さっておりました。
機会があればご一読下さい。

在家仏教協会のHP   http://www.zaikebukkyo.com/

◆2005.11.3(木)『仏像修復友の会 試験運営開始』
 かねてから考えていた「仏像修復友の会」の試験運営を始めました。
 文化財としての仏像の修復は、一般の方が思う以上に手間と時間と技術が必要で、それなりの費用をみていただかなくてはならず、修復費用を高価と感じられる方が多いように感じていました。
 また、自治体の文化財指定を受けている一握りの仏像は、補助を受けて修復を受ける機会が多いですが、ほとんどの数を占めている指定外の仏像は修復費用の面から修復を受ける機会を得づらいという現実があり、自前の補助制度を作らなければならない必要を感じていました。そこで、以前に修復させていただいた御仏像に次の御仏像の修復を手助けしていただく仕組み、「仏像の互助会」のようなものを作りたいと考えていました。
 
 加えて、貴重な文化財の近くにいらっしゃる人は、当たり前のように身近にあることで、その貴重さが見えにくくなり、修復事業に対して、消極的になりがちでした。反対に、遠くの人間は、客観的に日本の古い文化を守る必要性を感じていながら、檀家さんでない事から、なかなか文化財の保存修復に関わる機会がありませんでした。

この仕組みによって、これらの矛盾を解消でき、たくさんの仏像を修復できればよいと考えています。みなさまのご登録をお待ちしております。現在は試験運営中ですが、今、ご入会頂いても、2007年4月の更新までご利用いただけます。

◆2005.10.18(火)『古本まつり』
 今年も10月28日〜11月3日に、神田の古本まつりが開催されます。

場所のご案内

◆2005.10.17(月)『骨董まつり』
 先日、久しぶりに「平和島の古民具骨董まつり」に行ってきました。平和島の流通センターで年に何度か行われる催しです。様々な古いものが売られており、勉強にもなります。私は、大工道具などの修復の道具や材料を探します。結構おもしろいものがあります。今回は古い鑿を見つけました。近年のお宝ブームでたくさんの人でにぎわってました。

骨董市のホームページ    http://gold.ap.teacup.com/kottohmaturi/

◆2005.9.28(水)更新情報『閻魔王坐像の修復
 閻魔王像の修復報告のページを更新いたしました。表面の彩色は明治期のものと考えられましたが、今回はこれを除去せずに、強化処置を施して修復を行いました。一般の業者ですと、全部洗い流してから塗り直して別人になって帰ってきてしまいます。
銘文から、今回で少なくとも5回以上の修理が行われ、現在まで手渡されてきた事が判明し、その中の一員になれた事は感慨深かったです。

「保存修復まめ知識」の中の玉眼のページ
に本像の玉眼の構造も解説しています。

◆2005.9.21(水)『埴輪の様式』 
 現在一緒にお仕事をさせていただいている自治体の担当者の方は、埴輪がご専門の方で、埴輪を見れば年代だけでなく、産地まで分かるということでした。仏像と同じように様式があるそうです。そのような様式について体系的に書かれた書物というのは発行されておらず、研究者個人の情報の蓄積によるようです。年代だけでなく、生産地までも分かるというのはすごいことです。埋まっている地層の年代の判定によって、客観的に作られた年代も分かるようです。
仏像の時代様式も一般の方から見れば、同じように分かりにくいものなのかな、と再認識しました。

◆2005.9.14(水)『サービス』
 現在、修復している像の隣に安置されていた、地蔵菩薩の後補の光背も「ついで」ということで、お預かりして、修復しています。以前に壊れたところを、ご住職様が応急的に木工ボンドと紙紐で結わいておられましたが、構造的に不安定でグラグラとしていました。元々、円光背は構造的に無理があるもので、今のままにしていますと、倒れてしまいまい像を傷める恐れがありました。像本体は鎌倉時代末期の運慶派の仏師の作で、等身の地蔵菩薩です。上げ底式の内刳りが深く施されており、かなり立派なお像なのですが、何故か無指定です。台座・光背は後補でした。『ついで』のお仕事と言っても、清掃、解体、組み立て、矧ぎ目処理、補彩と、それなりに手間は、かかりました。

◆2005.9.8(木)『再構成』
 現在修復中の仏像は等身の坐像なのですが、最後に修理した人が、かなりアバウトに組み立てていたので、造像当初に組まれていた状態に再構成し仮組みするのに一苦労しました。鎹で組み付けていく間にどんどん形がずれて、(鎹は引きつける力が強いが、位置がずれやすい)厚い矧ぎ材を挿入したり、漆木屎を盛り付けて修正したりしたようです。これらを除去して、元々の部材の位置を探っていくと、うまく収まりました。

木材は時間が経つと歪んだり、収縮したりするので、その歪みを逃がしながら、調整していきます。プラモデルのようにはいかないところが難しいです。
文化財審議委員の先生にもご覧頂き、ご指導を頂いたので組みたてに入ります。

◆2005.8.30(木)『なじょもん』 
 先日,新潟県津南町に寄る機会があり、同町の「なじょもん」という文化施設を見学しました。ここでは、発掘された火炎式土器が展示され、土器の修復施設が併設され、小さいながらも特別展ができる展示室、あと、一般の方が楽しめるワークショップを行う部屋がありました。夏休み中でもあり、子供むけの様々な教室(土器を作ったり、様々な工作)が行われているようでした。
地方自治体の施設としては、かなり活気があって、お客さんも多くて感心し、職員の方の熱意とがんばりが感じられました。

なにより修復施設が併設されているところがうらやましく思いました。
仏像の修復もこのように修復と展示と研究、教育が一つになった施設が理想的であるのですが、宗教的なものであるだけに難しいのでしょうか。
どこかで、廃校や統合した資料館などの空いている施設があれば、どうぞ、そのような使い道を考えてみて下さい。
大掛かりな道具立ては必要ないので、広い床面積とセキュリティーがあれば仏像の修復は出来ます。

「なじょもん」のHP

◆2005.8.25(木)『虫食いの修復』
 先日仏像の虫食いによる損傷についてご質問をうけましたのでその話を書きます。

 私は、彫刻表面が残っていれば、虫食いは修復が利く損傷だと考えます。その状況によっていくつか修復方法を分類できます。下に行くほど修復が込み入って、時間と手間がかかります。散在した虫穴を埋めていくだけで、彫刻のかたちの力が強まり、ふくよかに戻ることもあります。

 @彫刻表面がしっかりしていて、穴が散在している場合
  この場合は、単純に穴を漆木糞で充填整形していけば、直ります。(しかし、修復には虫の穴を
  一つ一つ埋める根気は必要です。)

 A彫刻表面が皮1枚で残っている場合。
   彫刻表面の下に合成樹脂を注入して、(皮下注射のように)強化した後、穴を漆木糞で充填整形する。

 B木質部分に腐朽が起こっている場合
   木質部分を合成樹脂で含浸強化した後、虫穴を漆木糞で充填整形する。

 C木質部分が腐朽し、部分的に彫刻表面が欠失している場合
   木質部分を合成樹脂で含浸強化し、虫穴を漆木糞で充填整形した後、欠失部分を復元補修する。

 D木質部分が腐朽し、彫刻表面の大部分が欠失している場合
   木質部分を合成樹脂で含浸強化した後、虫穴を漆木糞で充填整形する。
   欠失部分の割合によっては、復元修復をせずに、欠失した現状をのこした損傷仏としての修復を行う。

虫穴をそのままにしていますと、虫の糞などから木材の腐朽が起こりやすくなり、彫刻表面の欠失が起こりやすくなります。早めの修復が肝心です。

◆2005.8.1(月)更新情報『玉眼の構造
 保存修復まめ知識の中に「玉眼の構造」のページを作りました。仏像の眼の表現技法の玉眼を写真で解説しています。鎌倉時代以降によく使われる技法です。

◆2005.7.30(土)更新情報『仏像修復に使う道具
 修復のまめ知識の中に「仏像修復に使う道具」のページを作りました。仏像を製作する道具とほぼ同じです。こういう手道具を作っているところはどんどん少なくなっていて、良い道具を手に入れるのに苦労します。私の場合、骨董市などで古い道具を買ってきて、手入れをして使ったりしているものもあります。

◆2005.7.26(火)『お宮の修復』
 近所の神社の本殿修復についてご相談を受けに行ってきました。間口の狭い小さな神社の中に安置されている、流れ造りという屋根の形の本殿(高さ1mぐらいの小さなお宮さん)の修復のご相談でした。細かい彫刻が施され、斗組み等の細かい組み物がされている立派なものでした。

一応仏像の修復が本業なのですが、木材や漆で出来ているものなら修復の依頼を受けます。

地元の神田祭のお神輿の修復依頼がきても大丈夫なようにと、神輿の資料とか、建具の資料とかを集めていたのが役に立ちました。それでも神輿の構造や技法を扱った本というのはあまりありません。

仏像とも違い、部材の数が多くて、結構大変な修復になりそうです。

◆2005.7.11(月)『基準作例年表
 文献や墨書から年代が確定している仏像の基準作例年表(奈良時代)を作りました。仏像の作られた前後関係がよく分かります。他の時代も順次作っていきます。

肖像権や著作権の問題から本から転用して写真を載せる事が出来ないので、その仏像の写真が貼られている寺院ホームページにリンクして姿を閲覧して頂けるようにしたかったのですが、なかなか仏像の写真を公開されているページが少ないのに驚きました。

◆2005.7.11(月)『日本の美術目録
至文堂から出版されている月刊誌『日本の美術』の目録を作りました。毎月それぞれの分野の専門家によって執筆されています。監修は文化庁・東京国立博物館・京都国立博物館・奈良国立博物館。かなりマニアックな分野まで細分化して作られていますので、それぞれの分野を概観するのに適しています。一応リンクできるものはAmazon.co.jpにリンクしましたので購入できます。

◆2005.7.10(日)『修復道具店リンク集
 仏像修復に必要な道具店のリンク集を作りました。
 
◆2005.7.5(火)『高松塚古墳の保存の問題』
 今日の「NHKクローズアップ現代」で高松塚古墳の石室を分解して、壁画を別の場所で保存する事が決ったという事を特集していました。
やはり土から切り離さないとカビの発生が止められないということでした。

昭和47年に発見されて、たしか何十億円もかけて、石室内部の温湿度管理を行う設備を作り保存をしてきたのですが、設備が出来て何年もしないうちにカビの発生が起こっていたようです。
私の大学時代、この設備の事を取り上げた授業がありましたが、やはり土から切り離さない限りはカビの発生は防げないという印象を受けました。

今回も巨費を投じての保存事業。大変難しい作業になると思います。今回は成功するといいです。

高松塚古墳の概要
高松塚古墳に関する文化庁の見解

◆2005.6.26(日)『さくらんぼ』
 山形に行って参りました。丁度さくらんぼの季節でにぎわっていました。山寺に久しぶりに登頂。汗だくになりながら階段をのぼりました。岩肌に石の階段が続き、頂上にお寺があります。家内の父は仕事で毎週この階段を上っていたそうですが、山形生まれの家内は、数える程しか上まで登ったことが無いそうで、近くにいると観光名所にはなかなか行かないものなのだなと、実感しました。そういえば、私も皇居の庭園の中に入った事がないし、東京タワーにも上ったことがない。

さくらんぼは、今年少し遅れて、7月初めが食べごろのようです。山寺付近の農園で、さくらんぼ狩りも楽しんできました。

山寺のHP
山形JA

◆2005.6.12(日)『埼玉県立博物館に行ってきました』
 久しぶりに埼玉県立博物館に行ってきました。仏像の常設展示の展示品はほとんどが、レプリカ=模造品なのですが、本物から型を取って、非常にうまく色を塗っているので、本物と見紛うばかりです。多分みなさんも、説明板をよく見ないと、本物だと思って鑑賞していると思います。(「原資料○○」と書かれています。)仏像などの資料は本物を博物館にずっと展示する事ができないので、この方法が使われます。埼玉県博の場合は、遺物も石碑も沢山の模造品が展示されています。

 大学の時に仏像の模造の製作をした事があるのですが、かなり大変な作業でした。
 まず、型が外せるように、どのように型を分割すればよいかを計画します。これがしっかりできていないと、型が外せなくなったり、原資料を痛めてしまう恐れがあります。
 計画が出来たら、像に型取りするためのシリコンが付かないように、金属箔で覆って、保護します。その次にシリコンをかけて、次に石膏で外型を作ります。石膏を補強したりしてから、いよいよ型を開けます。
 型がうまく外れたら、外した型の中に合成樹脂とガラスマットを貼り込んで、像のレプリカを作ります。何個も同じ形のものが取り出せます。
 取り出したものに彩色を施して完成となります。
 簡単に書きましたが、かなりの技術と根気が必要な作業です。

私の同級生はこの仕事が面白くてその業界に就職してしまいました。使う材料も体に良くないものがほとんどなので私はあまりやりたくありません。

仏像を修復するよりもレプリカを作った方が費用がかかります。本物を修復して後世に伝える事の方が重要ではないかと、何か釈然としない気持ちもありますが、大変な仕事です。

◆2005.6.10(金)『中越地震で損傷した仏像』
 新潟県の石打の私の家の菩提寺で先般の中越地震で壊れた仏像あるということで、修復を依頼され行って参りました。
建物の漆喰壁が落ちて、お仏像に当り、壊れていました。その場で修復できるものは現地で修復を行いましたが、千手観音は細い指先が12本も無くなってしまっており、工房に持ち帰って修復することにしました。折れた指先は壁の残骸と共に無くなってしまったようでした。折れた指先を保存しておいて頂ければ、接着することで割合容易に修理する事が出来ますが、無くなってしまうと、像に合うように新しく作らなければならず、修復が複雑になります。現在は桧材を彫出して指先を復元しています。

お仏像が壊れてしまった場合には、出来るだけ部材を紛失しないようにして頂きたいと思います。そうすれば、元々の形を伝えていく事が出来ますし、修復が複雑になるのを防げます。

「みそなめたか」の関興寺のホームページ

◆2005.5.31(火)『日本の美術』
 「修復家の本棚」のページの中に至文堂から出版されている月刊誌『日本の美術』の目録を作成しました。毎月それぞれの分野の専門家によって執筆されています。監修は文化庁・東京国立博物館・京都国立博物館・奈良国立博物館です。

さまざまな分野を概観するのに適しています。修復の参考資料としても重宝しています。あまり古いのでなければ、ページ内のサーチボックスで検索すれば、amazon.comで購入出来ます。

◆2005.5.16(月)『神田祭り』
 江戸三大祭りの1つ神田祭りが行われました。私も地元の人間なので、参加し、息子は今回がお祭りデビューでした。神田祭りは三社祭りとは違って、本当に地元の人間が中心でお神輿を上げています。地域の会社の人も半纏を借りてかついだりしています。恐い筋の人は入れません。威勢よく和気あいあいと祭りが楽しめます。2年に一回の愉しみです。

しかし、神田周辺は年々住民が減ってきており、運営する側は結構大変です。私も、自分の技術を活かして、山車の桃太郎の修復をしたり、神輿の台車を作ったり、鳳凰の台を作ったりはしていましたが、次回からはもう少しちゃんとお手伝いをしないといけません。こういう文化の継承も大切だなと感じた日でした。

◆2005.5.1(日)『新潟県曹洞宗青年会会報 「海潮音」に広告を掲載させて頂きました。』
 御懇意にさせていただいている寺院様からお声をかけてもらい、新潟県曹洞宗青年会の会報『海潮音』第50号に当工房の広告を掲載させていただきました。御興味のある方の御連絡をお待ちしています。

◆2005.4.30(土)『彩色像の修復』
 現在修復している御仏像は江戸時代の閻魔さまで、分厚い彩色が施されています。このような御仏像の修復が一番難しいです。彩色の膠分が劣化し、剥落しやすい状態ですし、部材も沢山の小さな木材で構成されており、これが、接着剤の膠の劣化によって、いつバラバラになってもおかしくない状態におかれていました。そして厚い彩色層で、像の構造が分かりにくいのです。一般の業者でしたら、鍋で御仏像を煮て、表面の彩色を全部除去した後、新品同様に塗り直してしまいますが、私の工房では、これの剥落を止めて、彩色層を強化して、御仏像の歴史を尊重した文化財としての修復を行っています。こういう彩色像の修復がうまくできれば、恐いものはありません。

解体を行っていたら、安政(1860)の修理銘が出てきました。修理した仏師の名前と、この像が寛文(1661〜73)に作られて3度目の修理だという事が書かれていました。その後も明治時代(1884)に修理したという事が台座に書かれており、そのようにして何度も何度も修理されて現在に伝わり、次は私が手渡しを行うのだなと、感慨を覚えました。

◆2005.4.18(月)更新情報『修復例を更新しました』
 先日まで修復していた薬師如来坐像の修復について、掲載の御許可を頂く事が出来ましたので、更新いたしました。


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