木造閻魔王坐像  江戸時代初期(寛文年間1661〜73)

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新潟県 加茂市の寺院(曹洞宗)           



      修復前            修復後


    台座修復前         台座修復後


  修復前の安置状況        頭部解体


    新補状況           台座新補状況
主な損傷の状態
 [本体]
  • 長年のほこりにより表面が汚れていた。
  • 顔面部材、冠の部材が、膠の経年劣化によって脱落していた。全ての部材の矧ぎ目の膠の耐用年数が経過している事が推察され、崩壊寸前であった。
  • 冠正面、冠右側面、左手親指、左手甲、裾先に部材の欠失が見られた。
  • 表面の膠下地彩色が劣化して剥落し、残っている部分も剥落寸前であった。
 [台座]
  • 框部の部材6材、柱部の部材6材、飾り彫刻の材が1材欠失していた。
  • 表面の膠下地彩色が劣化して剥落し、残っている部分も剥落寸前であった。
  • 框部分の膠下地漆箔が欠失していた。
修復基本方針
 [本体]
  • 表面の彩色を出来うる限り損じない為に、体幹部材、体側材、膝前材は解体を行わずに内部から接着剤を注入して強化し、像底の板材で固定した。
 [台座]
  • 台座の箱組部分は構造的には安定しており、解体はせずに、内部からの補強のみを行った。
  • 畳座部分の彩色は、全体の雰囲気を考えて剥落止めのみを行い、復元的な彩色補修は行わなかった

主な施工内容
 [本体]

  • 清掃  
    表面の埃を刷毛で除去した。
  • 剥落止め
    粉状に劣化した彩色層全体を強化した。浮き上がっている彩色層に剥落止めを行った。
  • 部分解体
    体幹部、体側材、膝前材を除く、頭部、両袖材、像底材などを一旦解体した。
  • 接着剤注入
    像内部から部材矧ぎ目に、合成樹脂を注入し構造を強化した。
  • 修復銘札納入
    今回の修復の記録として、桧板に墨書きしていただいた、修復銘札を像内に納入した。
  • 組み立て
    接着剤を用いて再接合した。
  • 新補
    欠失していた冠正面・右側面、右足先、右袖先、左親指、左手甲を桧材にて彫出し、新しく補った。
  • 補修
    小欠失箇所、矧ぎ目を漆木屎にて補修した。
  • 下地補修 
    彩色下地が欠失した部分は、膠下地を補い補修した。
  • 色合わせ
    全ての補修箇所は、周辺と違和感の無いよう顔料を用いて色を合わせた。
 [台座]
  • 表面彩色剥落止め
    粉状劣化していた台座表面の彩色層に剥落止めを行った。
  • 部分解体
    框、飾り彫刻を一旦解体した。
  • 漆塗り層剥落止め
    剥離している框・飾り彫刻表面の膠下地漆塗り層を剥落止めした。
  • 新補
    欠失していた框部の部材6材、柱部の部材6材は、ヒバ材を用いて新しく補った。飾り彫刻の材1材は桧材を用いて彫出して補った。
  • 表面補修
    框部分、柱部分、飾り彫刻部分の欠失した表面及び、新補箇所には、膠下地、呂色漆を補い、漆箔を施した。
  • 色合わせ
    全体に違和感のないよう補修部分のみに顔料にて色を合わせた。新しく漆箔を施した部分は、顔料にて輝きを押さえた。
所見
像底板材に安政7年(1860)の修理銘が発見された。
それによると本像は寛文年間(1661〜73)に造像され、安政七年(1860)の修理で3度目の再興(修理)となると書かれている。 また、台座には明治十七年(1884)に修理した旨が書かれており、合計すると今回で少なくとも5回目の修理になることが分かった。

◆修復後記
 表面の彩色は明治期のものと考えられたが、今回はこれを除去せずに、強化処置を施して修復を行いました。一般の業者ですと、全部洗い流してから塗り直して別人になって帰ってきてしまいます。
銘文から、今回で少なくとも5回以上の修理が行われ、現在まで手渡されてきた事が判明し、その中の一員になれた事は感慨深かったです。
「保存修復まめ知識」の中の玉眼のページに本像の玉眼の構造を解説しています。


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