木造二天立像 
江戸時代後期    総高 阿形153.5cm
 吽形169cm

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新潟県 長岡市 個人蔵          

全体

   修復前阿形        修復前吽形
       ↓             ↓

    修復後阿形       修復後吽形



像本体

    修復前阿形       修復前吽形
                     

    修復中阿形      修復中吽形
白い部分が桧で新補したところ。黒い部分が漆木屎で補修したところ
                     

   修復後阿形       修復後吽形


阿形解体

 

吽形解体

    
台座解体



 
阿形像には他像から転用された部材が使われていた。
像の概要
木造ヒバ材寄木造り。玉眼、内刳りあり。それぞれ90程の部材から構成されている。表面布張り彩色。
台座は、邪鬼・岩座・框座の三段構造。
主な損傷の状態
●損傷状況
 [本体]
  • 長年のほこり、蝙蝠の糞により表面が汚れていた。
  • 表面布貼り彩色が劣化し剥落していた。
  • 矧ぎ面の膠が劣化し、鉄釘が錆付き、部材が遊離しているものもあり、表面の布貼りによって辛うじて構造を保っている状態で、崩壊寸前であった。(特に吽形像)
  • 部材の欠失箇所が見受けられた。
  • 阿形像の眼には、本来水晶製の玉眼が付いていたはずであるが、後世の修理時に付けられた木製の眼が嵌入されていた。
  • 後世の補修箇所が目立ち、後補部材が像の形状に合っていなかった。

 [台座]

  • 長年のホコリ、スス、蝙蝠の糞により表面が汚れていた。
  • 表面彩色が膠の経年劣化によって弱り、剥落していた。
  • 岩座に付けられた流木が虫食い、腐朽を被っていた。
  • 接合に使用された鉄釘が錆付き、膠が経年劣化し矧ぎ目が遊離している部分があり、構造が不安定になっていた。
  • 部材が欠失していた。(框胴の角の飾板3枚、透かし彫りの一部、岩の一部、几帳面飾り1本)
  • 後世の修理時に付けられた粗悪な部材の形状が合わず、使用に耐えられなかった。(後補部分については次項参照)

\ 修復工程
 ●修復基本方針

  • 像の造像当初の彫刻形状を生かした、像の歴史を尊重した修復を行った。塗り直しなどの安易な修理方法は一切とらない。
  • 部材を全て解体し根本的な修復を行った。
  • 表面布張り彩色は造像当初のものであるためこれを残した修復を行った。

 [像本体]

  • 剥落止め
    脆弱化した表面布貼り彩色を剥落止めした。
  • 解体
    全ての部材を一旦解体した。
  • 鉄釘除去
    鉄釘・鎹は、錆びて膨らみ材を割り、木材を炭化させる癌のようなものである事から、これを全て除去した。
  • 釘穴補修
    釘穴を再利用するものは、木釘を接着、補修した。
  • クリーニング
    全体に付着した蝙蝠の糞を除去した。
  • 小欠失箇所補修
    小欠失箇所に漆木屎(漆+小麦粉+木粉)を用いて補修を行った。
  • 欠失箇所新補
    大きく欠失した部材や形状のそぐわない後補部材は、ヒノキ材を彫出して、新しく補った
  • 修復銘札納入
    今回の修復の記録として、桧板に墨書して頂いた修復銘札を像内に納入した
  • 組み立て
    接着剤、ステンレス釘・木ネジを併用して組み立てた。
  • 玉眼新補
    阿形像の目には後世に木材で補われていた。今回はこれを水晶で新しく補った。裏面に目玉を描き、和紙を当て、押さえ木を新しく補い、竹釘で固定した。
  • 矧ぎ目処理
    部材同士の矧ぎ目(つなぎ目)に漆木屎を充填整形して、部材の形状を連続させた。
  • 補彩
    補修部分にのみに周囲と違和感のないよう、顔料などを用いて補彩を施した。
  • 完成写真 
    修復後の記録写真を撮影した。
  • 修復報告書作成 
    修復前後と修復中の作業写真を用いた修復報告書を作成した。

 [台座]

  • 清掃  
    表面のホコリを刷毛で除去した。
  • 剥落止め@
    表面彩色全体の強化し剥落を止めた。
  • 剥落止めA
    めくれ上がった漆塗膜を剥落止めした。
  • クリーニング
    薬剤を用いて表面の汚れを除去した。
  • 解体
    部材を一旦解体した。
  • 樹脂含浸強化
    腐朽によって強度がなくなった部分に樹脂溶液の濃度を変えて何度も注入し、含浸強化した。
  • 樹脂注入強化
    虫食いによる損傷部分の虫穴樹脂を注入し、強化した。
  • 組み立て
    接着剤とステンレス釘、木ネジを併用して、組み立てた。
  • 矧ぎ目処理
    部材の矧ぎ目に、漆木屎を用いて充填整形した。   
  • 補修
    小欠失箇所と虫穴に漆木屎を用いて補修した
  • 新補
    欠失した箇所と使用に耐えない後補部材に、ヒノキ材を彫出して新しく補った。特に吽形台座は後世の修理時に改変されており、今回元の状態に戻し、欠失した箇所を補った。
  • 漆塗り・漆箔
    漆塗膜の欠失した部分に塗り漆を塗り、金箔を漆で貼った。
  • 補彩
    補修した部分にのみ、周辺と違和感の無いよう、顔料などを用いて補彩を施した。

]T 修復所見

  • 今回阿形像直垂(ひたたれ)と邪鬼底面より墨書が発見された(解読不能)が、年代を確定的に示す資料は発見できなかった。形状や構造・技法などから江戸時代末に造られた像であると推定する。表面の布貼り彩色は造像当初のものと考える。造像当初は、彩色も非常に細かく出来ばえもすばらしかったと想像できる。江戸時代の彩色彫刻を知る上で貴重な資料である。今回はこの彩色を出来るだけ残す処置をして修復を行った。
  • 吽形像には後世に中規模の修理の手が入り、補修や新補が行われていた。補修箇所に使われた新聞などの反故紙から明治期から昭和初期と推定する。
  • 阿形像には彩色まで施された別の像の部材が転用されていた。この転用材が肩から足先まで通っていたために、構造的に強く、吽形像のように自立が危うい状態にはならなかった。転用材は構造技法的な面からも江戸時代初期の像と推定した。彩色は素地に直接彩色下地を置いて描かれていた。
  • 両像共に細かい部材を沢山組み合わせて造像されていた。部材は殆んど釘を用いずに組まれており、接着剤の膠は経年劣化によって強度がなくなり、表面の布張りによって辛うじて構造を保っていた。すでに吽形像は自立できなかった。
  • さわる事もままならない程、脆弱化した表面布張り彩色を剥落止めし、解体修復を行う事は非常に難しい作業となった。

◆修復後記
 劣化した布張り彩色を保存処置しての解体修復である事と、それぞれ90程度もの部材があった事、そして台座が三段の複雑な構造をしていた事で、、時間的にも技術的にも非常に難しい修復となりました。この像を修復できればどんな像も怖くないというほど、修復としては難しい部類のものとなります。

写真でみると修復前と修復後でそんなに変わっていないように思えるかもしれません。苦労が分かっていただきにくいのが残念です。。

文化財的な修復を行わない業者さんでしたら、一旦像を鍋で煮て全ての彩色を落としてしまうやり方をしてしまうでしょう。

実際、他の業者が手に負えないということで私のところに話が来ました。


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