木造聖観音菩薩立像 [市指定有形文化財]
平安後期 像高 83.4cm
福島県 の寺院(曹洞宗)
◆修復後記
とても整った平安後期の観音様。両腕は後補です。左に腰を少し捻っているので、阿弥陀三尊の脇侍だったのかなと推定します。お姫様の念じ仏だったという事です。
●修復前
●修復後
●損傷状況
●補修状況
T 形状
[本体]
単髻。山形宝冠。天冠台(列弁。紐二条)。地髪疎ら彫り。白毫相をあらわす。耳朶環状。三道相をあらわす。瓔珞を着ける(後補)。左手は屈臂し、腹前で掌を腹側に向け五指を捻じて 持物(未開蓮:後補)を執る。右手は、屈臂し、右胸前で掌を左前に向け第1,2指を捻じる。条帛、天衣(肩から大腿部及び膝前を渡る)、裙を着ける。腰をやや左に捻り、右足をやや 前に踏み出して台座上に立つ。
[台座]
迦葉座。岩座。
[光背]
二重の輪光背。
[厨子]
春日型
U 品質・構造
[本体]
木造一木割矧ぎ造り(ヒノキ材)。彫眼。内刳りあり。
[台座]
木造。迦葉部、膠下地漆箔。岩部、彩色。
[光背]
木造。膠下地漆塗り、一部漆箔。
[厨子]
木造。摺漆仕上げ。
V 損傷状況・後補箇所
●損傷状況
[本体]
・台座ごと転倒した。
・両足先及び右足ホゾ、天衣、指先が亡失していた。
・矧目が緩み解体寸前であった(背面から洋釘によって固定されていた)。
・表面全体が長年のホコリ・ススによって汚れていた。
[台座]
・岩の部材の亡失、框座の亡失により、底面積が少なくなり、安定感が失われていた。
・表面全体が長年のホコリ・ススによって汚れていた。
[光背]
・落下により、矧目が遊離し、脱落し、応急修復によって接合したが、矧目は目立っていた。
・表面全体が長年のホコリ・ススによって汚れていた。
・表面の膠下地漆箔が剥離・剥落していた。
[厨子]
・表面全体が長年のホコリ・ススによって汚れていた。
●後補箇所
両肩から先。台座。光背。厨子。金銅製の天冠(現状別保存)、瓔珞。
X 修復基本方針
・像本体の部材を一旦解体する。
・台座右足ホゾ穴の木片を取り外し、右足?、両足先を新補して安定させる。
・両足ホゾ穴を調整することによって自立を安定させる。
・台座の岩の部材と框を新補して安定させる。
・光背を一旦解体し、補修する。
・像表面の形状欠失個所や虫穴を補修し復元する。
・両足先、両手の指先、天衣を復元する。
・厨子もお預かりして清掃を行う。
Y 修復工程
[本体]
1.搬出
薄葉紙、紙座布団、さらしなどで厳重に梱包した後に搬送した。
2.写真記録
修復前の状態を写真に記録した。
3.表面強化
膠水溶液を表面に含浸し強化した。
4.解体
像本体は部材を全て一旦解体した。右足?穴内の木片を取り除いた。
5.釘除去
鉄釘の錆はイオンの影響で、木質を劣化させることからこれを全て除去した。
6.矧目清掃
部材の矧目を清掃する。光背の部材に残された接着剤を全て除去する。
7.修復銘札納入
今回の修復の記録として、ご住職様にヒノキ板に墨書していただいた
8.組み立て
麦漆、エポキシ樹脂系接着剤、ステンレス釘を併用して組み立てた。
9.矧目補修
矧目を漆木屎を用いて補修した。
10.新補
ヒノキ材を彫出して、両足先、手指、天衣、両足?などを新補した。
11.補修
小欠失個所や虫穴に漆木屎を用いて補修した。
12.ホゾ穴調整
ホゾ穴を調整し、ホゾがしっかりと効くようにした。
13.框、岩新補
台座の框と岩部分をヒノキ材にて新補し、安定させた。
14.色合わせ
補修した部分と色の変色している部分のみに、違和感のないよう、補
15.修復完成写真
修復後の状態を写真に記録した。
16.修復報告書作成
写真を用いた修復報告書を作成した。
17.搬入
薄葉紙、紙座布団、さらしなどで厳重に梱包した後に搬送した。
18.安置
修復工程のご説明をした後に御像を安置した。
[光背・迦葉座]
1.剥落止め
表面の漆塗膜を、膠と電気コテで剥落止めした。
2.接合
エポキシ樹脂系接着剤で接合した。
3.補修
漆木屎で欠失部を補修した。
4.下地
補修部分に下地を施した。
5.漆塗り
下地部分に塗り漆を塗った。
6.漆箔
必要な部分に漆箔した。
7.補彩
周辺と違和感のないよう補彩を施した。
[厨子]
1.清掃
表面のホコリを刷毛で落とし、水拭きを行った。
2.赤外線撮影
墨書を赤外線カメラにて撮影し記録した。
3.接着
部材の緩んでいる部分に、接着剤を注入し、固定した。
4.樹脂含浸強化
腐朽し強度の無くなった部分にアクリル樹脂を含浸し強化した。
5.補修
欠失部分を補修した。
6.補彩
補修部分に周囲と違和感のないよう補彩を施した。
7.松煙錆漆塗り
屋根部分は松煙錆漆を塗った。
Z 修復所見
・平安時代後期の非常に整った御像。構造技法も一木割矧造りと古風。後補厨子墨書も本像の歴史を物語っており、貴重である。
・残念ながら、胎内には墨書などはなく、後世に内刳りの彫り直しが行われていた。
・修復前には、像表面が白くなっていたが、これは、表面の錆漆の劣化と長年のホコリ・ススのためで、修復過程で、表面に膠を含浸すると、江戸時代に塗られた錆漆の色に戻った。
・左に腰を少し捻っており、元々は阿弥陀三尊像の脇侍の観音像であったと推定される。
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