木造安達藤九郎盛長坐像【埼玉県指定有形文化財】 
南北朝時代 像高76.cm

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埼玉県 鴻巣市の寺院(真言宗)           


     修復前            修復後




    修復前頭部        修復後頭部




      修復前           修復後




     修復前            修復後



     修復前            修復後




             解体写真




             
主な損傷の状態
[本体]
  • 長年のほこり、煤により表面が汚れていた。
  • 矧ぎ目が遊離し、脱落している部材が多くあった。
  • 部材の欠失、形状の欠失箇所があった。
  • 玉眼の裏の紙、押さえ木が欠失し、目の表情が失われていた。
  • 鉄釘と鉄鎹が腐食し膨らんで、材を割り、周辺を炭化させていた。
  • 虫食いによる穴が、散見された。
  • 全ての部材の接合が弱まっており、近い将来部材の脱落が起こってゆく可能性があった。
  • 像の安定を欠いていた。
  • 後世の修理に挿入された矧ぎ材により、造像当初の適正な部材構成なされておらず、造形に違和感があった。
  • 表面塗膜に剥離・剥落している部分があった。
[台座]
  • 彩色および膠下地漆箔部分が剥離・剥落していた。
  • 畳座の彩色が粉状劣化し、強度が著しく低下していた。
  • 部材の入れ替わり、天地の入れ替わりがあった。
  • 虫穴、欠失など形状の欠失した部分があった。
  • 部材の欠失している部分があった。
  • それぞれの段の接合が外れていた。
修復基本方針
  • 像の経て来た歴史、造像当初のオリジナル部分を尊重した修復を行なった。
  • 部材を全て一旦解体し、根本的な修復を行なった。
  • 像表面は後世に補われたものであるが、像容を害しているとはいえないので、これを除去せずに修復を行った。
  • 像本体の使用できる水準に達している後補の部材は、これを用いて修復を行った。
  • 台座の後補部材もこれをできるかぎり利用して修復を行った。
  • 台座の表面処理は、これを補わず、現状のまま留める処置を行った。

主な施工内容

[本体]

  • 解体
    鉄釘、鉄鎹を除去しながら、部材を一旦解体した。
  • 釘・鎹の除去
    腐食し、材を傷めている釘・鎹を全て除去した。
  • 樹脂含浸強化
    腐朽し強度の低下した部分には、合成樹脂を含浸し強化した。  
  • 釘穴の補修
    組み立て時に釘を打ち直す為に、桧材を用いて釘穴を補修した。
  • 部材単位での補修
    部材単位で小欠失箇所、虫穴、ひび割れ、釘穴等に桧材、漆木屎を用いて補修を行った。
  • 解体写真撮影
    部材を全て並べ、解体した状態を撮影した。
  • 赤外線観察
    全ての部材の墨書の有無を赤外線にて観察し、墨書を赤外線写真にて撮影記録した。(江戸期の墨書が発見された。)
  • 仮組み
    部材を仮組みし、調整を行った。
  • 剥落止め@
    像表面を強化した。
  • 剥落止めA
    剥離している表面塗膜に剥落止めを行なった。
  • 組み立て
    それぞれの部材を、ステンレス釘・木ネジ、接着剤を併用して接合した。  
  • 玉眼補修
    瞳の彩色を顔料にて補彩し、欠失していた玉眼裏の紙と、押さえ木を新補した。  
  • 新補・補修
    大きく欠失している部材を桧材を用い、小欠失箇所には漆木屎を用いて新補、補修した。
  • 矧ぎ目処理
    全ての矧ぎ目に漆木屎を2段階に充填整形して、部材間の形状の連続を図った。
  • 錆付け
    補修部分に錆漆(砥粉+水+漆)を塗布し、補修部分の質感を調整した。
  • 色合わせ
    全ての補修箇所に、周辺と違和感の無いよう、漆および顔料を用いて色を合わせ、補修箇所を目立たなくした。
  • 修復銘札納入
    今回の修復の記録として、住職様に桧板に墨書して頂いた修復銘札を像内に納入した。

[台座]

  • クリーニング
    薬剤を用いて、付着した汚れを除去した。
  • 剥落止め
    粉状劣化した畳座の彩色部分に、彩色の色味を変えぬよう強化した。
  • 解体
    全ての部材を一旦解体した。
  • 剥落止め
    剥離した漆塗膜に剥落止めを行った。
  • 釘除去
    鉄釘を全て除去した。
  • 樹脂含浸強化
    腐朽によって強度が低下している箇所に合成樹脂を含浸し強化した。
  • 補修
    漆木屎を用いて補修した。
  • 部材の組み合わせの確認
    天地が逆になっているものや、順番が入れ替わっている部材があり、部材に残る痕跡や形状から、各段の組み合わせを確認した。
  • 組み立て
    部材をステンレス釘・木ネジ、接着剤を併用して組み立てた。
  • 新補
    上框(旧下框)背面材と、廻り足の3材を新しく補った。他に胴の柱状の飾り4材、透かし彫りのつぼみを新しく補った。
  • 補強
    台座内部に構造材を設け台座の構造を強化した。
  • 矧ぎ目処理・補修
    矧ぎ目と小欠失箇所を漆木屎を用いて補修整形した。
  • 色合わせ
    補修部分に周囲と違和感のないよう、顔料を用いて色を合わせた。
修復所見
  • 像内に江戸時代の墨書を発見した。
  • 本像は、一木割り矧ぎ造りである点、体幹部前面材下部に心束を残している点、矧ぎ面に台鉋を用いず荒く仕上げている点等、非常に古風な構造技法を有している。
     その反面、頭部は7材矧ぎと多くの部材を矧ぎ寄せており、また、膝前材に割合細い材を横3材で構成している点から、造像技法の過渡期に位置している事が伺われ、造像年代は埼玉県指定有形文化財に指定されている通り、南北朝時代と推定された。
  • 表面は後補の漆錆に覆われていたが、部材は造像当初のものをよく伝えていた。
  • 残っていた釘・鎹の痕跡から判断して、大きな修理を2回は行われていた。  
  • 最後の修理時の銅鎹による接合の際に形のずれが生じ、補正するために、矧ぎ目に多数の矧ぎ材を挿入していた。これによって、造像当初の適正な   部材構成が行われておらず、造形に違和感が生じていた。今回の修復では、部材の再構成を行い、造像当初の部材構成に復することができた。

◆修復後記
 埼玉県指定文化財ということもあり、文化財審議委員の鷲塚泰光先生(元奈良国立博物館館長)との打ち合わせを行って修復を進めました。
修復中に江戸時代の墨書が発見され驚きました。像自体は造形も構造技法上も江戸時代ということは決してなく、後世の墨書と断定しました。

 この安達盛長という武将は、源頼朝が伊豆に流されていた時からの家来で、鎌倉幕府の重鎮となった人です。本像は僧籍に入り蓮西と名乗った頃の肖像と伝えられています。お寺自体は、記録が残っていないようですが、安達盛長が開いたと伝えられているようです。
現在、お寺付近は静かなところですが、江戸時代までは荒川の船着場として非常に賑やかだったようです。

 本像のレプリカ(修理前の状態)が、埼玉県立博物館に展示されています。


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