〓〓〓〓2004.9.22〜2004.4.23の『ぶつぶつ日記』〓〓〓〓

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◇2004.9.22(水)『藤原4代のミイラ』
 
昨日の平泉中尊寺金色堂に関連して、藤原4代は何故、自分の遺体をミイラにしてまで、遺体を保存したのかという疑問がわいてきます。日本人は本来、死体というものを穢れたものと考えていました。血の穢れ、産の穢れ、死の穢れという穢れを非常に気にしていました。また、祟りを非常に恐れ、死体を保存するという考え方が起る土壌は都では生まれえませんでした。藤原4代は何を望んで死体を保存したのであろうかと疑問に思います。自身を崇拝させる為か、彌勒の下生を待つか、西方浄土の信仰か、平泉の行く末を見守る為か、アイヌの慣習の影響か、はたまた、エジプトのミイラのごとく魂が戻って来る時の為に保存されたのでしょうか。金色堂の謎は尽きません。
 

◆2004.9.21(火)『プロジェクトX』
  今日プロジェクトXで、中尊寺金色堂の話が取り上げられていました。その修理に立ち会われた方に修復の苦労話しをお聞きした事がありますが(今回の番組では、大場松魚さんが中心に番組が組み立てられていましたが、もっと沢山の漆芸家が関わっていました。)、その作業は、修復というよりも復元と言った方がよいかもしれません。現代に金色堂の修復をした場合には、現物に対して、あそこまでの復元修理は行なわれないと思います。金色堂本体の損傷を修復し、復元は別に新しく金色堂を作って行なうという手法になるはずです。莫大な予算がかかることになります。しかし、金色堂には、それだけの価値があります。金色堂は、建造物というよりも一つの大きな漆工品と考えた方が良く、平安時代の漆芸の技術の粋を集めたものなのです。現代の漆芸家も及ばない程の技術がそこには用いられているのです。

 現在でも金色堂の後ろに取り外された蒔柱が横たえられていますが、これを、眼近で見学させていただけるような展示方法をとってもらえればなあといつも思います。破損した部分の断面や、壊れ方を観察する事がその技法や素材を知る鍵になる事があるからです。

 番組中に中尊寺の裏山の土を、漆に混ぜたというくだりがありましが、これは中尊寺地の粉のことなのでしょうか、マンガン(Mn)を含み、漆の硬化が早くなるという事は聞いた事が無かったので、事実とすれば勉強になりました。

 番組中に分析されていた金色堂の素材や技法については中尊寺金色堂と平安時代漆芸の研究 中里寿克にまとめられています。すごく高い本ですので、研究なさりたい方は図書館などで御覧になるとよいでしょう。

 藤原4代のミイラについては『中尊寺と藤原四代 中尊寺学術調査報告 朝日新聞社編 昭和25』 という本があります。そこにはその調査で分かった、藤原4代のミイラの研究が記されています。遺体の保存処置の方法から、生前の姿、遺体の死因、副葬品。斬首された泰衡の首にはどのような刀傷が付いていたかとか、これだけでも番組ができる題材だと思われます。

◆2004.9.16(木)更新情報講演会・展覧会情報
  
文化財保存修復学会が主催する京都での講演会の情報を載せました。お近くの方はどうぞ足をお運び下さい。多分、初心者向けの内容になっていると思います。

◆2004.9.15(水)『CTスキャンで年輪年代測定』
  
9月10日の毎日新聞の記事に病院で使っているCTスキャンで撮影し、木材の年輪年代測定法(文化財の分析方法のページ参照)を用いて、仏像の年代測定が出来るという記事が載っていた。仏像の場合、表面を漆や彩色に覆われていたり、なかなか年輪を測定する機会がないが、この機械を使えば、なるほど測定も可能である。まだ研究を始めたばかりのようだが、研究が進む事を期待したい。

 仏像の場合は木材の表皮が残っている事はまず無いので、木材の伐採年を確定する事は出来ないとは思うが、、、少なくともこの年以降に作られたという事が分かれば、時代認定の助けとする事もできよう。ついでに樹種の確認が出来るともっと面白いのだが。

毎日新聞の記事 http://www.mainichi-msn.co.jp/search/html/news/2004/09/10/20040910ddn002040014000c.html

◆2004.9.8(水)更新情報木彫仏像の構造・技法
 
木彫仏の構造と技法についての用語を整理して説明文をつけてみました。

◆2004.9.6(月)『古本のすすめ』
 『修復家の本棚』を更新していて、直面したのは、すごくお薦め出来る本は絶版になって、手に入らないのが多いという事実でした。特にこの業界の本はそんなにたくさん売れるわけではないので、絶版になりがちなのでしょうか。仏像の事を調べたければ、やっぱり古本屋に行かなくてはなりません。私の経験上、神田の古書街が品揃えが充実しています。神田は世界一古本屋が多く軒を並べる所だそうです。一時店が減る傾向がありましたが、また盛りかえしてきました。
 本は捨てずに古本屋に持って行きましょう。買い取り価格は微々たるものですが、本がリサイクルされます。本はみんなの資源なのです。知識のリサイクルです。
コンピューターがいくら発達しても本の文化はなくなくならないと思います。

◆2004.9.7(月)更新情報
 リンクを少し増やしました。

◆2004.9.2(木)更新情報蓮の花と仏像の台座
 仏像の台座のモチーフである蓮の花を観察してみました。形式化されたり、他のものが混じったりしていますが、比べてみると面白いです。

◆2004.9.1(水)更新情報修復例 薬師如来立像
 修復例を一つ更新しました。『薬師如来立像』の修復です。本像は虫喰いがひどく、虫穴を埋め、欠失箇所を補修、新補しました。像の持っていた雰囲気をできるだけ壊さぬように損傷箇所のみに補修を施しました。このHPを御覧になられた、所有者の方から御依頼頂いた仏様です。

◆2004.8.26(木)『白土下地について』
 先日、上野の町を自転車で画材店に『白土』を求めてさまよいました。でも残念ながら手に入れる事が出来ませんでした。『白土』と聞いても何だか分からない店員さんも多く、私は驚きました。『喜屋』という日本画材の有名なお店にも白土は置いてありませんでした。

 現在白土は、彩色の下地として全く使われないものだという事を知りました。『白土』とは、カオリン、陶土ともいい、磁器の材料の土です。奈良、平安時代には彩色の下地に使われていました。法隆寺の裏山には良質の白土が産出する事が知られており、数々の文化財に使用されていました。

 鎌倉時代に入ると、『貝殻胡粉』が下地材の主流になり、江戸時代の泥下地へと移行していきます。厚塗り出来て、真っ白だという点が良かったようです。しかし、耐久性の面でいうと白土の方が強いというのが経験的な見解です。ある人の話しでは、貝殻胡粉はCa(カルシウム)でアルカリ性が強いので、膠を劣化させやすいという話しですが、本当のところはどうなのでしょうか。

 胡粉と言う場合、奈良時代には『胡』の国(朝鮮半島)の白い粉と言う意味で、『鉛白』をこう呼んでいたようです。後の『貝殻胡粉』と混同しがちです。
 今年の文化財保存修復学会で、正倉院宝物の伎楽面の中に『貝殻胡粉の焼成していないもの』で下地を施しているものがあるという研究結果が出ていました。奈良時代の白い彩色下地は『鉛白』が主流であり、貝殻胡粉は鎌倉時代以降という時代判定のものさしになっていた定義に少し注意が必要ということになりました。

 私は白土のやわらかい白が好きなので貝殻胡粉よりも白土を好みます。
 結局、陶芸材料のお店を見つけて、そこで購入する事ができました。お店の方の話ですと、福島ではゼオライトという良質の細かい白土が近年まで産出していたそうです。現在は、インドネシアカオリン、朝鮮カオリンという輸入ものがほとんどだそうです。

◆2004.8.25(水)更新情報仏像の手と足

◆2004.8.25(水)『修復家の本棚の改造』
 『修復家の本棚』のページから本を買う事の出来るように改造いたしました。絶版の本等は、古本としても購入出来ます。総額で1500円以上のお買い物ですと、送料も無料なので、わざわざ大きな本屋に電車やバスを使って行くよりもお得かと思います。また、古本として売っている本もあるので、新しいものよりも安く買えます。
 ここに載せている本はほとんど私が持っていて、お薦め出来る本です。私の場合は神田の古書街の常連なので、気がつくとこんなに本が増えていました。引っ越しの時も大変でした。まだまだ登録していない本があるので順次やっていきたいと思います。

◆2004.7.13(火)『新潟集中豪雨』
 
新潟の方の集中豪雨の被害は結構大きいようです。川が氾濫し、車が水没している映像を見ました。親戚や、懇意にして頂いているお寺様があり、心配しています。今回の豪雨で破損した仏像等の応急的な処置など、何か自分にもできる事があれば、是非御相談下さい。

◆2004.6.14(月)『唐招提寺』
 
唐招提寺の修復工房を見学してきました。まずその工房の大きさに驚きました。千手観音の身長の三倍はあろうかとういう天井の高さで、工房内部の床面積も相当なものでした。しかし、展示を見て、この広さの理由が分かりました。千手観音の1000本の手を解体し、並べて、真上から解体写真を撮る為だけにこの大きさは必要なんだなと。ううむ、さすがに国の仕事はスケールがでかいと感心しました。御仏像は普段このように近くで拝観出来ないものでした。特に千手観音の手と、指先の形が昔から好きで、目近に見られた事はとてもいい体験でした。また、持物の宝珠と宮殿が展示されており、奈良時代の千手観音の持物を堪能しました。この像は、毎日新聞社「魅惑の仏像 2巻 唐招提寺 千手観音」でたくさんの写真を見る事ができます。みなさんもどうぞ御覧になってみて下さい。
 

◆2004.6.10(金) 更新情報『仏の三十二相、八十種好』
    『仏像の修復について』→『仏像保存修復まめ知識』→『仏の三十二相、八十種好』で見れます。

 仏の本来の超人的な姿の決まりごとです。この決まりを全て盛り込んでいる仏像はおそらく無いと思います。それほど我々常人とはかけ離れたお姿をしています。
 
◆2004.6.8(火)『仏像修理所を唐招提寺が公開』
 
修復中の唐招提寺の仏像が、奈良の唐招提寺内の修復工房(美術院国宝修理所)で6月4日から13日まで公開されるようです。今回で2回目となる催しです。修復の現場を見学出来るまたとないチャンスです。まあ、きれいに片付けられて、実際の現場とは言えないかも知れませんが、、、、普段見学出来ないものが見学出来るでしょう。私も奈良に行く用事のついでに覗いてみようと思います。将来プロジェクトXに出るような仕事です。(この間の仁王像修復のは私の周りではすこぶる評判が悪かったです。私は残念ながら見逃しました。)

◆2004.6.6(日)『技術の裏付けがあってこそ、後世に残っていく』
 運慶の彫刻は、その芸術性もさることながら、技術の裏付け、そして何より信仰により守られていた事があってこそ現在も残っています。

 ゴッホという画家は、その画風と精神病を患った事実から、感性のままに絵の具を塗り、絵を描いたと思われがちですが、実は非常に絵の具の事を熟知している画家でした。そうでないとあのような厚塗りの絵は、すぐにひび割れ、剥がれて落ちていたことでしょう。絵の具の乾燥時間は、その絵の具によって違います。それは、混ぜる顔料によって油の酸化重合の速度に違いが生じる事に起因します。(暗い色が乾きにくいのが普通)また、混ぜてはいけない絵の具もあります。ゴッホは絵の具を自分で調合していたとも聞きます。したがって、ゴッホの画風の真似をして描いてもすぐに絵はぼろぼろになるそうです。技術を伴わない感性のみの作品は残っていかないということでしょうか。

 そういう意味で言えば、奈良、平安、鎌倉時代の作品は技術の裏付けがあってこそ残っているとも言えます。木材、漆、膠、顔量といった脆弱な素材を使いこなしています。こういう技術は時代を追うに従って退化していると断言出来ます。昔の人はすごいのです。

◆2004.6.4(金)『玉眼という技法』
 鎌倉時代以前の仏像の目の表現には、彫眼と言う、木を彫刻し彩色等で目を表現する技法が使われていました。しかし、平安時代末期に、より仏像の目に現実感を持たせる為に玉眼という、水晶を加工して、像の内側から嵌め込み、内側に瞳を描き、紙を当てる技法が発明されました。その一番古い例は奈良県の長岳寺の阿弥陀三尊像(1151)で奈良仏師の作ではないかと言われています。玉眼の技法が流行るとそれ以後の仏像の目の多くはこの玉眼で表現されました。江戸時代の仏像はどんなに小さい仏像でも米粒程の水晶を加工して玉眼を嵌めています。したがって、仏像の時代判定の一つの物差しになっています。(しかし、江戸時代の修理で、玉眼に改造されている場合もよくあるので注意が必要ではあります。)

 元々、奈良時代の塑像には石を前から嵌め込む技法は存在していました。ギリシャやエジプトには水晶の裏に伏せ彩色をして、前から嵌め込むという技法もありました。しかし、この日本の玉眼という技法は、『内刳り』という木彫仏像の内部を空洞にする技法とあいまって、内部から水晶を嵌め、それに伏せ彩色をするという、日本独自の技法に変化しました。

◆2004.5.31.(月) 『運慶の上げ底内刳り』
 運慶の作品の坐像の場合には、像の内部を刳り取る『内刳り』という技法に特徴があります。浄楽寺の阿弥陀以降の作品は、像底をくりあげ、胴体部分を棚状に彫残し、胴体内部の空間を独立密閉出来るようにする手法を用いています。それまでは像底まで内刳りを抜いてしまい、がらんどうにしている像がほとんどでした。これ以降運慶の系列の仏師はこの手法をよく行っています。鎌倉前期のものは上げ底が深く、時代が下るに従って浅くなり、江戸時代になると、上げ底にしなくなると言われています。
 この手法によって、像内が外気と遮断され、タイムカプセルの様に、経巻や銘札、墨書などの納入品を守っている事が多いです。運慶は、いろいろな事を考えるなと感心させられます。

 現在、東京国立博物館の常設展示で展示されている新発見の運慶作の大日如来にもこの上げ底の内刳りになっていることが、一緒に展示されているX線写真からも分かります。近くに展示されている静岡県裾野市の慶派の像も同様の内刳り法です。私は大分以前、この像の像底写真を拝見した折に内刳りの形を見て、運慶に相当近い仏師の作とみていました。近年修復され、その情報が公開されるのが待たれます。

 仏像の修復をしていると仏像の内部を拝見する機会があります。むしろ、内部や像底に作った仏師や、修理した仏師の個性が現れていて興味深いことが多いです。修復家の役得といえます。

◆2004.5.18.(火)
 今回、御縁のあった寺院の方を幾人かお訪ねし、お話を伺う機会がありました。その中のお一人に「古びた仏像を拝むのは日本人ぐらいなもので、他の仏教国の仏像は皆きらびやかだ」というお話がありました。仏具屋さんの修理のように、きらびやかになる修理も信仰の対象としては一つの選択肢になりうるのかという事を再認識しました。それでも自分達のように「仏像の歩んで来た歴史を尊重した修復」というものを広めていきたいと、思っているのですが、なかなか論破できませんでした。

 私は文化財の修復とういものを大学院で勉強してきたもので、文化財という概念として仏像彫刻を見がちです。理屈では仏像というものが信仰の対象であり、他の文化財の修復とは全く違う状況があるという事は分かっていて、『文化財』という言葉自体が仏像彫刻に馴染まないのではないかと考えたりもします。寺院の方とお話をする時でも最近は『文化財としての修復』ということは言いません。『仏像の歩んで来た歴史を尊重した」修復方法がたまたま『文化財としての』修復方法と同じということなのだと考えています。

 また、彫刻史の中での位置付けによって仏像のランク付けをするのはやめようと決めています。どんな仏像も平等で、それが、古かろうと新しかろうと、信仰の中ではあまり関係がなく、信仰されている人が大事だと思うものを直していこうと考えています。

 その仏像を信仰の対象とされる方の思いというものを尊重した修復を心掛けるべきなのだと再確認した一日でした。こうして寺院の方々とお話をさせて頂くと、勉強になります。

 皆さんは、仏像の修復についてどのようにお考えでしょうか。御意見・御感想をお待ちしております。

◆2004.5.6.(木)『宣伝不足』
 
連休中に寺院の方に話をお聞き頂く機会がありました。その中で仏像を直すということについて、我々のような文化財としての現状維持修復(仏像のたどってきた歴史を尊重する修復)の方法があまり浸透しておらず、安易な塗り直し修理しか選択の余地がなかったという事を聞きました。一度修理に出して、塗り直されて、仏像が、面影無く帰ってきて、それ以来恐くて修理に出せないという事もあるようです。これは、我々の先輩方の『宣伝不足』に他ならず、現代の我々がそのつけを払わなくてはならない状態です。我々のような修復法もあるという事から広めていかなくてはならないという段階です。

◆2004.4.23(金) 更新情報
 展覧会・講演会情報を更新いたしました。


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