◆◆木彫仏像の構造・技法◆◆

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ここでは、仏像の構造・技法の用語の説明を行いたいと思います。


 木彫仏像はその構造で大きく3つに分類出来ます。

一木造り 『頭体幹部の根幹をなす材を1材で作るもの』膝前材や腕、背板は別材で作ってもかまいません。・内刳りを全く行わないものと、・背面や像底から、内部を刳り出し、背板(蓋板)で蓋をするものの2種類があります。平安時代初めまで流行しました。
一木割り矧ぎ造り 一木造りの像を造像過程で一旦二つに(たいがいは耳の後ろの線で)割り離し、内刳りを施した後、くっつける技法。平安時代末期に流行しました。
寄せ木造り 『頭体幹部の根幹をなす材を同等の2材以上で作るもの』というなにか曖昧な表現で表現されるこの技法は、造仏に大変な変革をもたらしました。平安時代の中頃、10世紀後半の作と言われる、京都、六波羅密寺の薬師如来像が早い例とされています。木材を組み合わせて造像するこの技法が、発展することで、大きな像も作る事が出来るようになり、平安末期には多くの丈六仏(立像4.8m、坐像2.4m)が作られました。また、分業しての造仏が可能になりました。それまでの神木・霊木を用いる等の木の霊性を考慮した用材感から、木を材料としてのみ見る感覚の変化が進みます。
最近では、「一木造り」から「寄せ木造り」の技法の移行は、技術的な革新というよりも、この用材感覚の変化の方が大きかったのではないかと言われるようになりました。江戸以降の仏像は、木材を材料としてのみ見て、本当に細かい材木を使用して造られています。

一方で、より動きのある彫刻をつくり出す表現が可能になりました。

 

特殊な構造

割り首 内刳りの技法が発展する過程で生まれた技法です。像の首の付け根に丸ノミを入れて、一旦割り離します。顔面の造作がしやすくなる、分業を可能にする、体幹部の干割れが像の顔に繋がっていかない等の利点があります。
割り足 ももの裏側や、裳の裏側を彫る為に一旦足を割り離し、彫刻した後、矧ぎ寄せる技法。平安末期から鎌倉時代にかけての短い期間の像に見かける技法です。
差し首 時代が下って江戸時代になると、首から上を別材で造り、差し込む構造になります。(たまに古い時代の像でも見かける場合もあるので注意!)

内刳り

内刳り
(うちぐり)
像の内部を空洞にして、重量の軽減、干割れの防止を行います。仏像を制作した後、運搬する際または、火事などで避難する際に仏像が重すぎると、容易に運べません。また、木材は木心と辺材の収縮率の違いによって乾燥過程で割れを起します。像の内部を空洞にする事でこの干割れを防ぐ事が出来ます。平安中期までの像はこの内刳りが小さかったり、全く無かったりして、干割れが生じているものが多いです。
背刳り
(せぐり)
平安前期の一木造りの像の内刳りは特別に背刳りと言って区別します。背刳りは像の背中から穴を開けて像の内部を刳り空洞にした後に別材の板で蓋をして板を彫刻して背中とします。

 

目の表現技法

彫眼
(ちょうがん)
仏像の目を木から彫り出し、彩色などで表現する技法。
玉眼
(ぎょくがん)
 平安時代末期に、より仏像の目に現実感を持たせる為に玉眼という、水晶を加工して、像の内側から嵌め込み、内側に瞳を描き、後ろから紙を当てる技法が発明されました。
 その一番古い例は奈良県長岳寺の阿弥陀三尊像(1151)で奈良仏師の作(康慶説が有力)と言われています。玉眼の技法が流行るとそれ以後の仏像の目の多くはこの玉眼で表現されました。江戸時代の仏像はどんなに小さい仏像でも米粒程の水晶を加工して玉眼を嵌めています。したがって、仏像の時代判定の一つの物差しになっています。(しかし、古い仏像でも、江戸時代の修理で、玉眼に改造されている場合もよくあるので注意が必要ではあります。)
 元々、奈良時代の塑像には黒目に石を前から嵌め込む技法は存在していました。ギリシャやエジプトには水晶の裏に伏せ彩色をして、前から嵌め込むという技法もありました。しかし、この日本の玉眼という技法は、『内刳り』という木彫仏像の内部を空洞にする技法とあいまって、内部から水晶を嵌め、それに伏せ彩色をするという、独特のの技法に変化しました。

仏像の表面技法

漆箔
(しっぱく)

仏像の表面を金箔で加飾する技法。時代と仕事のランクによって大きく3つに分類できます。
1.像の表面全面に麦漆や糊漆で麻布を貼り、漆錆下地、漆塗り、漆箔する。一番手間をかけた手法。

2.像表面に直接、漆錆下地を施し、漆を塗り、漆箔する手法。

3.矧ぎ目に膠等でに紙を貼り、膠で砥の粉・胡粉等を練った下地を塗り、漆を塗り、漆箔する手法。
 (これは前時代の技法よりも手間がかからず、江戸時代以降に流行した。しかし、漆による下地よりも耐用年数が短く、現在、剥離・剥落が起り、壊れているものが多い。)

※漆塗りに使用された漆は、江戸以前は掃き墨漆という松煙や油煙などの墨の粉を混ぜて黒漆を作っていました。江戸以降には鉄分と反応させた呂色漆というものが使われるようになりました。

※漆箔という技法の名前は漆工芸の方では使われないようです。仏像彫刻独自の用語のようです。

彩色
(さいしき)
膠で溶いた顔料で加飾する技法。素地または漆塗りの上に、膠で溶いた白い土(奈良時代は鉛白、平安時代は白土、室町時代以降は貝殻胡粉が主流。)で下地を作り、その上に文様を描くというのが基本。
截金
(きりがね)
熱で数枚を貼り付け、細く切った金箔を膠で貼り、細かい文様を施す技法。
金泥
(きんでい)
漆を薄く摺り、金の粉を蒔く方法。金箔を貼るのとは、光沢が違う。肉身部分は金泥蒔きに、衣の部分は漆箔や截金にするというように使用された。鎌倉時代の仏師快慶が好んで行った技法。
彩色の方では、膠と金の粉を混ぜ加飾する方法をいう。
置き上げ
(おきあげ)
膠で溶いた胡粉や砥の粉で文様を高く盛り上げる技法。南北朝時代以降、衣の文様に見られる。
土紋
(どもん)
土を型抜きした文様を衣部分に貼り付ける技法。鎌倉時代の鎌倉地方周辺にのみ見られる特殊な技法。


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