木造賓頭廬尊者  明治22年

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新潟県 加茂市の寺院(曹洞宗)           

 
   修復前            修復後

  
   修復前            修復後

 
   修復前            修復後

主な損傷の状態
 ・長年のホコリによって汚れていた。
 ・手先、宝珠が遊離していた。
 ・表面の塗膜が剥落している部分があった。
 ・顔面の部材の矧ぎ目が遊離し、目だっていた。

◆修復後記
像の首ホゾには「明次(治)廿二年 仏師 下条村 藤原宗興儀 初工」と墨書されていました。
藤原宗興という仏師の記録は残されていません。

修復を行う前には表面は朱漆であると考えていたが、作業を進めていくうちに別の塗料であるとわかりました。この塗料は非常に脆弱になっており、処置が非常に困難でした。

賓頭廬尊者とは
優填王の臣下であったが、釈迦の弟子となり修行して阿羅漢となり神通力を得た。しかし、あるとき人にすすめられて奇蹟を演じてみせたため釈迦から叱責を受け、弥勒仏が出現するまでこの世にとどまり、布教することを命ぜられた。十六羅漢の第一尊者とされる。
インドの小乗寺院では上座に置き、中国では唐以前から寺院の食堂に聖像として賓頭廬像を安置し食を供えた。日本でも早くから祀られたが、のちにその木像を本堂の外陣や堂の前に置いている。病のある部分を撫でるとなおるという信仰が民間にひろまっている。

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