木造阿弥陀如来立像  [市指定有形文化財]
 明応六年制作か    
像高   43.5cm

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福島県のお堂     

●修復前

地震で倒れて壊れてしまった。


●修復後



●解体


Y 形状
[本体]
螺髪彫出(粒状、後頭部切子形)。肉髻。肉髻珠。白毫相をあらわす。耳朶は貫かない。三道相をあらわす。左手は垂下し、掌を正面に、第1・2指を捻じる。右手は屈臂し、掌を正面に第1・2指を捻じる(来迎印)。内衣、覆肩衣、衲衣、裙を着ける。(衲衣は右肩に少し懸け、端を左肩に懸ける。)両足をそろえ台座上に立つ。

[台座]
踏み分け蓮華座。[踏み分け蓮台、蓮弁魚鱗葺き。上敷茄子。華盤。受座。下敷茄子。蕊。反花。三段框座(上2段の見付け部に透かし彫り)。]

[光背]
舟形光背:頭光(中心に八葉蓮華)。身光。光脚。周縁部に雲烟彫り。

Z 品質・構造
[本体]
木造寄木造り(ヒノキ材)。玉眼嵌入。内刳りあり。元々は頭体幹部を前後2材で剥ぎ寄せ、内刳りを施し、割首を行う(現状後頭部後補材)。頭頂部別材。両肩先より体側に別材を剥ぐ。左手先差し込み剥ぎ。右手先と前腕の下半を剥ぎ寄せる。両袖上部を別材で矧ぐ。両足先別材。両足?は体幹部前面材と同木より彫出。膠下地、肉身部金泥、衣部漆箔。像背面に長方形の穴、像底面に台形の穴をあけ蓋をする。

[台座]
木造。膠下地漆箔。

[光背]
木造。頭光、身光一材。周縁部3材、三か所の「ちきり」で固定。膠下地漆箔。

[ 損傷状況・後補箇所
●損傷状況
  ・東日本大地震により落下し、損傷した。
[本体]
 
・両足先の脱落。
  ・左手先の緩み。
  ・右袖先の割れ。

[台座]
  ・蓮弁の脱落と緩み。
  ・蓮肉の前後材の遊離。
  ・框座の部材の遊離。

[光背]
  ・先端部材の亡失。
  ・軸が損傷し立たなかった。

●後補箇所
後頭部。表面金泥および漆箔。台座の敷茄子以下・光背・厨子は後補か。 

\ 像内納入品
1.金銅製の小像(如来坐像か)

2.三枚の銘札
三枚の木札は、大きさが縦18.819.9cm、横3.03.5cm、厚さ0.10.3cmの薄材

胎内銘札@(表)
  「造立 貞観年中 慈覚大師壱刀三禮御作
        明應六 再興願主乙巳四月日
                 秀重阿闍梨
                 秀仲阿闍梨
                 民部少補泰之
                 競音妙尼
                 妙永禅尼
                  助三郎 」

胎内銘札@(裏)
   「弐度再興
     天明元年辛巳閏五月
     願主 江戸芝通新町
             中山良得 」

胎内銘札A(表)
    「三度再興
     文政十二年己巳八月日
      願主當村須田弥右エ門
            積年六十壱才
           洗仏師 白根村
                藤原夲住 」

胎内銘札A(裏)
     「四度再興
       元治元甲子年八月日
       明應六より此年造三百六十七年ニナル
                發願主 須田弥右エ門
                      當南西氏子中
                  洗仏師 仙台百騎町
                      法橋中川成恵 」

胎内銘札B(表)
     「五度再興
      明治四拾一戊申年拾弐月八日
       發起主 三品清治郎弐拾才
               須田重造弐一才
               文殊院教隋法印
        山形県南村山郡山形市洗師田中藤吉 」

胎内銘札B(裏)
     「明応六■■年造四百拾貮年ニナル
           宿元 須田三治郎 四拾八年 」

] 所見
・造形的には、頭部螺髪の形状、衣文の処理に古風な部分がある。割首を行い、足ホゾを共木から彫出されているなど構造技法的にも古様。
・表面の漆箔は明治41年の再興時のものか。
・内部に、金銅仏1躯と木札が3枚残されている。2枚は、木の質と筆跡から元治元年(四度目の再興)に作られていたことが分かるが、明應六年の一度目の再興に関して願主などにかなり具体性があることから、何がしかの記録を写したものと推定される。胎内には墨書はなかった。制作年代はこの明應六年か。

]T 修復工程
  修復基本方針
  ・御像の歴史を尊重した文化財としての修復を行った。安易な塗り直し修理は行わなかった。
  像本体については、足先、左手先、右袖先だけを補修した。
  ・光背は軸のみを補修した。(光背先端を新補すると厨子に入らなくなる。)
  ・台座は、容易に外れる部材のみを解体し、その他は内部より構造補強し、補修した。
  ・厨子の屋根、割れた部分、外れてしまった、向かって左側の戸を補修した。

1.搬出
   厳重に梱包して搬出した。
2.修復前写真
   修復前状態と損傷を写真に記録した。
3.部分解体
   容易に外れてしまう部材のみを一旦解体した。
4.矧目強化
   解体しなかった部材の矧目内部から接着剤を注入して強化した。
5.清掃・クリーニング
   刷毛で、ホコリを落とし、部分的にクリーニングを行った。
6.内部の木札の観察
   内部の木札を取り出し、写真記録を行った。ファイバースコープを用いて、内部の確認を行った。(像内に墨書はなかった)
7.解体写真
   解体された状態を写真に記録した。
8.組み立て
   部材を組み立てた。
9.矧目処理
   矧目と小欠失箇所に漆木屎(漆+小麦粉+木粉)で充填整形した。
10.下地
   補修部分にのみ下地を施した。
11.漆塗り
   漆を塗った部分にのみ塗り漆を塗った。
12.漆箔
   必要な部分にのみ金箔を貼った。
13.色合わせ
   周囲と違和感のないよう、補修部分にのみ水干絵の具にて補彩した。
14.修復銘札納入
   像内部に今回の修復の記録として、ヒノキ板に墨書していただいた修復銘札を納入した。
15.修復完成写真
   修復が完成した状態を写真に記録した。
16.修復報告書作成
   写真を使用した修復報告書を作成した。
17.搬入
   厳重に梱包して搬入した。  
18.修復概要の説明・安置
   修復概要の説明を行った後、安置した。

]U 御堂内部と周辺の文化財
・堂内に、背面墨書が残されている阿弥陀如来立像。文久三年(1863)の地蔵菩薩半跏像。文政十年(1827)の百万遍の念珠、嘉永五年(1852)の俳額、講の運営に関する古文書。
・外には文政七年(1824)の金毘羅大権現石碑などの石造文化財が多数残されている。また、地域のお堂で鐘楼が作られているのも珍しい。柱に墨書なども残されている。
・お堂の頂上には石造の宝珠が載せられていて、東日本大震災で落下してしまった。重層的な歴史が残されていて興味深く、きちんと調査記録しておくことが望まれる。


◆修復後記


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