木造阿弥陀如来立像 [市指定有形文化財]
明応六年制作か 像高 43.5cm
福島県のお堂
●修復前
地震で倒れて壊れてしまった。
●修復後
●解体
Y 形状
[本体]
螺髪彫出(粒状、後頭部切子形)。肉髻。肉髻珠。白毫相をあらわす。耳朶
[台座]
踏み分け蓮華座。[踏み分け蓮台、蓮弁魚鱗葺き。上敷茄子。華盤。受座。
[光背]
舟形光背:頭光(中心に八葉蓮華)。身光。光脚。周縁部に雲烟彫り。
Z 品質・構造
[本体]
木造寄木造り(ヒノキ材)。玉眼嵌入。内刳りあり。
[台座]
木造。膠下地漆箔。
[光背]
木造。頭光、身光一材。周縁部3材、三か所の「ちきり」で固定。膠下地
[ 損傷状況・後補箇所
●損傷状況
・東日本大地震により落下し、損傷した。
[本体]
・左手先の緩み。
・右袖先の割れ。
[台座]
・蓮弁の脱落と緩み。
・蓮肉の前後材の遊離。
・框座の部材の遊離。
[光背]
・先端部材の亡失。
・軸が損傷し立たなかった。
●後補箇所
後頭部。表面金泥および漆箔。台座の敷茄子以下・光背・厨子は後補か。
\ 像内納入品
1.金銅製の小像(如来坐像か)
2.三枚の銘札
三枚の木札は、大きさが縦18.8〜19.9cm、横3.0〜3.5cm、厚さ0.1〜0.3cm
胎内銘札@(表)
「造立 貞観年中 慈覚大師壱刀三禮御作
明應六 再興願主乙巳四月日
秀重阿闍梨
秀仲阿闍梨
民部少補泰之
競音妙尼
妙永禅尼
助三郎 」
胎内銘札@(裏)
「弐度再興
天明元年辛巳閏五月
願主 江戸芝通新町
中山良得 」
胎内銘札A(表)
「三度再興
文政十二年己巳八月日
願主當村須田弥右エ門
積年六十壱才
洗仏師 白根村
藤原夲住 」
胎内銘札A(裏)
「四度再興
元治元甲子年八月日
明應六より此年造三百六十七年ニナル
發願主 須田弥右エ門
當南西氏子中
洗仏師 仙台百騎町
法橋中川成恵 」
胎内銘札B(表)
「五度再興
明治四拾一戊申年拾弐月八日
發起主 三品清治郎弐拾才
須田重造弐一才
文殊院教隋法印
山形県南村山郡山形市洗師田中藤吉 」
胎内銘札B(裏)
「明応六■■年造四百拾貮年ニナル
宿元 須田三治郎 四拾八年 」
] 所見
・造形的には、頭部螺髪の形状、衣文の処理に古風な部分がある。割首を行
・表面の漆箔は明治41年の再興時のものか。
・内部に、金銅仏1躯と木札が3枚残されている。2枚は、木の質と筆跡か
]T 修復工程
●修復基本方針
・御像の歴史を尊重した文化財としての修復を行った。安易な塗り直し修
・像本体については、足先、左手先、右袖先だけを補修した。
・光背は軸のみを補修した。(光背先端を新補すると厨子に入らなくなる。)
・台座は、容易に外れる部材のみを解体し、その他は内部より構造補強し、補修した。
・厨子の屋根、割れた部分、外れてしまった、向かって左側の戸を補修した。
1.搬出
厳重に梱包して搬出した。
2.修復前写真
修復前状態と損傷を写真に記録した。
3.部分解体
容易に外れてしまう部材のみを一旦解体した。
4.矧目強化
解体しなかった部材の矧目内部から接着剤を注入して強化した。
5.清掃・クリーニング
刷毛で、ホコリを落とし、部分的にクリーニングを行った。
6.内部の木札の観察
内部の木札を取り出し、写真記録を行った。ファイバースコープを用
7.解体写真
解体された状態を写真に記録した。
8.組み立て
部材を組み立てた。
9.矧目処理
矧目と小欠失箇所に漆木屎(漆+小麦粉+木粉)で充填整形した。
10.下地
補修部分にのみ下地を施した。
11.漆塗り
漆を塗った部分にのみ塗り漆を塗った。
12.漆箔
必要な部分にのみ金箔を貼った。
13.色合わせ
周囲と違和感のないよう、補修部分にのみ水干絵の具にて補彩した。
14.修復銘札納入
像内部に今回の修復の記録として、ヒノキ板に墨書していただいた修
15.修復完成写真
修復が完成した状態を写真に記録した。
16.修復報告書作成
写真を使用した修復報告書を作成した。
17.搬入
厳重に梱包して搬入した。
18.修復概要の説明・安置
修復概要の説明を行った後、安置した。
]U 御堂内部と周辺の文化財
・堂内に、背面墨書が残されている阿弥陀如来立像。文久三年(1863)の地蔵菩薩半跏像。文政十年(1827)の百万遍の念珠、嘉永五年(1852)の俳額、講の運営に関する古文書。
・外には文政七年(1824)の金毘羅大権現石碑などの石造文化財が多数残さ
・お堂の頂上には石造の宝珠が載せられていて、東日本大震災で落下してし
◆修復後記
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