木造地蔵菩薩坐像    [国指定重要文化財]
鎌倉時代末期(元亨四年=1324) 
像高 80.5     

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福島県の寺院(真言律宗)

●修復前





●修復後


●納入品・銘文
元亨四年(1324)の銘文と納入品と元禄十一年(1698)に仏師玄慶が修理した時の納入品があった。







紙背文書(お経は手紙の裏紙が使われていた)
手紙は「ゑかい」さん(少しお年を召している女のかた)から「いよ」さん(お寺を開基した小川入道義綱の妻か、娘がいる)にあてた手紙が殆ど。胎内銘の慈仙さんとはどのような関係なのか、解読が待たれる。
他にも、ひしおの作り方とか、印仏や髪の毛や爪が納められていた。



●光背、台座解体


●補修状況


●土紋・彩色
保存状態が非常に良い。

Y 形状
[本体]
円頂。髪際を彫刻で表現する。白毫相をあらわす(現状亡失、穴を残す)。耳朶環状。三道相をあらわす。左手は屈臂し、掌を上に五指を軽く曲げ宝珠を執る。右手は屈臂し掌を左斜め上に向け五指を捻じて、錫杖を執る。臂釧を着ける。内衣、覆肩衣、衲衣、裙を着ける(内衣を少し胸元にあらわす。覆肩衣は右肩から右腕に懸かり、右胸下では一度たるませて衲衣にたくしこむ。衲衣は右肩に少し懸かり、端を左肩に懸け、上縁を大きく折返す。左襟で衲衣の初層を上層の縁に懸ける)。裙を垂下し、台座上に坐す。

衣の彩色:
・袈裟
〈表〉田相 白緑地 格子と卍繋ぎ截金。縁取り截金線一条。条葉 群青地 蔓を盛上げ、葉・花に土紋を貼る。(界線と蔓の部分にはあらかじめ金箔を押し、地に群青を塗る。葉・花は白色地金泥塗り)

    〈裏〉周縁部は、縁に金箔を貼り、その内側に緑青地、周縁立涌文截金。周縁・内区の界に截金線二条。内区は網代文截金。

・覆肩衣〈表〉周縁部は金泥地。最外縁に太・細2条の截金。蔓盛上げ、花・葉土紋。周縁・内区の界に細2条・太の截金。内区は緑青地 変り七宝、十字入りの截金。丸文散らし(輪郭、花 金泥描き)

      〈裏〉外縁に金箔。彩色地に金泥で唐草を描く。

・裙  〈表〉周縁部は緑青地。花・葉は土紋金泥塗り。最外縁金箔。周縁・内区の界に金箔。内区は朱地に麻葉繋ぎ文の截金。

     〈裏〉薄赤

・内衣  外縁金箔。緑青地 土紋の四花弁を貼る。

[台座]
 蓮肉。蓮弁を魚鱗葺きに葺く。上敷茄子(宝相華の透かし彫り)。匂。華盤。華脚。下敷茄子(八角形)。反花。受座(八角形)。上框、上蛤座。下蛤座、下框。

 [光背]
  舟形光背。二重円相(連珠、列弁)。頭光内に八葉蓮華。光脚。周縁部に雲烟透かし彫り。

Z 構造・技法
[本体]
  木造寄木造り(カヤ材)。内刳りあり。割首。玉眼嵌入。白毫穴を残す。頭体幹部は耳後ろで、前後に寄せる(両肩下がりの位置と、像底に前後材を繋ぐ板状雇?を交わす)。両肩よりそれぞれ体側材を寄せる。両袖それぞれ別材。左右前膊前より下半を挿込み剥ぎ、両手先別材。左手第2、3、4指別材。右手1・2、3、4、5指別材。両脚部横一材。裳先に横一材。懸裳部は縦材の小材を寄せる(3材か)。像底を刳り上げ、上げ底式に彫り残す。全面に布貼りを施し、錆漆下地黒漆塗り。肉身部は弁柄漆塗り金泥(後補)。着衣表面に土紋と白色下地に彩色、金箔、金泥、截金により装飾を施す。蔓盛上げは錆絵か。土紋にも漆分が含まれていると推定。錫杖は先端銅鋳造製、環銅線製、柄は木製。宝珠木製(後補か)。

[台座]
七重蓮華座。
・蓮肉:スギ材。大きな横一材(木心を含む)の前後に薄材を寄せる。内刳りあり。天板を寄せる。上面に光背を挿す2つの?穴。
・蓮弁:スギ材。魚鱗葺きに寄せる。5段。現状51枚。
・上敷茄子:カヤ材。2材を寄せる。透かし彫りを施す。
・華盤・匂・華脚:カヤ材。華盤一材製に匂の彫刻6材を寄せ、華脚3材を寄せる。
・下敷茄子:カヤ材。前後2材製。
・反花:カヤ材。1材製。
・受座:カツラ材。一材製。
・上框、上蛤座:上框はケヤキ材、8材を寄せ、内部に十字の構造材を設ける。上蛤座はヒノキ材、8材を寄せる。
・下框、下蛤座:下框はケヤキ材、8材を寄せ、内部に十字の構造材を設ける。下蛤座はヒノキ材、8材を寄せる。

表面膠下地漆塗り。反花以上は漆箔。

[光背]
ケヤキ材。3材を矧ぎ寄せる。先端部に小材を寄せる。表面膠下地漆箔および彩色。

[ 損傷状況・後補箇所
●損傷状況
[本体]
  ・東日本大震災により落下した事による裳先の複雑な割れ。首元の損傷。

   ・白毫(水晶製)の亡失。
   ・表面彩色層の脆弱化。
   ・小欠失(腰に3ヶ所のネズミの咬害)。
   ・左手先の脱落。
   ・後補表面金泥の剥落。

[台座]
   ・長年のホコリ、ススによる汚れ。
   ・框座の虫喰いによる損傷。
   ・上敷茄子の透かし彫りの欠失。
   ・框座の部材の遊離。
   ・後補の心棒が細く、全体の構造的な安定の欠如。
   ・部材の亡失。(上下蛤座の部材5材、匂1材)

 [光背]
   ・漆箔の剥離、剥落。
   ・矧目の遊離(紐で留められていた)。
   ・部材の欠失。 
   ・先端の部材の亡失。

●後補箇所
  肉身部表面金泥塗り。錫杖の棒。宝珠。台座。光背

\ 墨書・納入品等
[胎内銘]
≪頭部背面≫
     「 俊賢
             
           権少僧都隆賢
           法橋上人位権律快円
           阿闍梨隆覺 」

≪体幹部前面≫
       「 観善禅門為
          杲然禅門為
          元亨四年二月九日 慈仙

              仏子院誉 」     ※元亨四年=1324

●権少僧都隆賢について
光明寺文書、大宝院文書(岩城文書上所収、県史7 資料添付)の中の「権少僧都隆賢檀那譲状」(暦応二年=1339)に記述されている人物と同一と考えられる。  

●仏師院誉について
いわき市保福寺蔵 薬師如来坐像を正中三年(1326)に、横浜市慶珊寺蔵 十一面観音半跏像(鶴岡八幡宮旧蔵)を正慶元年(1332)に制作している。(資料添付)
本像に書かれた「仏子院誉」の文字については、本文と別筆であることから院誉本人の筆と推定される。元禄十一年(1698)の修理銘札には「運慶」作との伝承が残されており、仏子=仏師とは考えていなかった事がうかがわれる。

●慈仙について
胎内文書2に「比丘尼慈仙」と書かれていることから女性と考えられる。

[胎内納入品]
【鎌倉時代納入品】
妙法蓮華経(一部八巻)妙法蓮華経三巻)。妙法蓮華経目録(一通)。金剛般若波羅蜜経(三巻)。薬師経・宝楼閣経・般若心経一巻)。宝楼閣善住秘蜜陀羅尼経(一巻)光明真言(一巻)。錫杖(三巻)。雑阿含経偈誦一巻)。金剛般若経書写願文(一通)。某亡霊供養願文四通)。地蔵菩薩印仏(十一通)。遺髪・包紙(十四?)。醤作次第(一通)。

【江戸時代納入品】
喜多尾武春廻向文(一通)。玄慶法橋小仏奉納文(一通)。地蔵菩薩像修理銘札(一通)。仏師玄慶奉納銘札(一通)。仏師玄慶修理廻向文(一通)。阿弥陀如来像(一体)。

 ●胎内納入品については、神奈川県立金沢文庫様により2年計画で解読を行っていただくこととなった。本報告書には記録写真のみを掲載した。表の経典には、慈仙、聖機、性圓宗祐、春一という名前が散見される。紙背の手紙文には、「小川」「いよどの」という文字が散見され、今後の解読が待たれる。

●他にもお寺には、後世に写された、縁起所収文書が残されている。(福島県史7 資料添付)

●胎内文書は、元禄十一年(1698)の修理時に一旦外に出され、整理されて、いる。包紙などの傷んだ紙は、破棄されたものもあったと考えられる。傷みの大きく紙片になっている紙も残されていた。

●修理した仏師玄慶について[長谷洋一様(関西大学)よりいただいた資料]
延宝元年(1673) 千葉県森厳寺 釈迦如来立像を制作。
延宝三年(1675) 埼玉県都幾川村月窓寺 大権修理菩薩坐像・達磨大師坐像を制作
延宝三年(1675) 千葉県流山市広寿寺 地蔵菩薩坐像を制作
延宝七年(1679) 埼玉県上尾市密蔵院十二神将像(亥神)を制作
貞享二年 (1685)神奈川県鎌倉市光明寺 内藤忠興像を制作
元禄三年 (1690)神奈川県横浜市蓮勝寺毘沙門天立像を制作
元禄十一年(1698)本像を修理
正徳元年(1711) 千葉県君津市神宮寺 興教大師坐像を制作
享保五年(1720) 東京都江戸川区東善寺 弘法大師坐像を制作
寛保二年(1742) 千葉県君津市萩作観音堂 如来坐像を修理
不明     埼玉県小鹿野町普寛堂 阿弥陀如来立像を修理
不明     千葉県君津市歓喜寺 弘法大師、興教大師坐像を修理
不明     千葉県君津市長福寺 地蔵菩薩坐像を制作
不明     神奈川県海老名市盛福寺 如来立像を制作
不明     神奈川県横浜市浄性院 開山椅像を制作

[台座銘文]
 「 當寺捨一代住梁雄再興 作者乃庵
           寛永六年乙巳捨月吉日    」      ※寛永六年=1629

] 修復基本方針
●像の造像当初の彫刻形状、歴史を尊重した修復を行った。塗り直しなどの安易な修理方法はとらなかった。
●台座、光背は全解体修復を行い、安置に不安のないよう、構造を安定させた。

[本体]
・割損した裳先の補修と、首の補修を中心に行った。
・頭部は、胸で釘留めされている可能性も大きく、外すことが出来る場合のみ一旦解体する方針であったが、幸い胸には留められておらず、後首の後補竹釘3本を外すと、容易に外れ、一旦取り外して修復することとした。
・両脚部の遊離を像底より合成樹脂または、麦漆を注入して補強した。
・両手指については、今回の修復が東日本大震災からの復旧ということもあり、お寺としても、短期間で御像にお戻りいただきたいとの要望もあり補わない方針とした。
表面彩色の剥落止めは予定に入れていなかったが、今後の輸送や展示に備えて強化する必要を感じ、行った。

[台座]
・全解体修復を行い、本体、光背、台座の重さを受け、安定出来るよう内部に補強材を設けた。
・台座天板は構造上の問題が無い為、解体を行わない予定であったが、内部に構造材を設ける為に一旦解体した。
・底に湿気がこもるのを防ぐ為に、隅足を設けた。

[光背]
・解体修復を行うが、出来るだけ金箔は補わず、現状の雰囲気をそのままに修復した。

]T 修復工程
[本体]
 1.搬出
    薄葉紙・紙座布団で損傷しないよう厳重に梱包した後、搬出を行った。
  2.仮台座制作
    作業用に仮台座を制作した。
  3.修復前写真撮影
    修復前の記録として、全体と損傷箇所を写真におさめた。
  4.矧目強化
    矧目からアクリル系樹脂(パラロイドB72)溶液を注入し構造を強化した。
  5.接合
    割損した裳先をエポキシ樹脂系接着剤を使用して接合した。
  6.首部分解体
    首後の竹釘3本を外し、首を一旦外した。
  7.胎内文書記録写真撮影
    胎内から納入品が発見され、全ての記録写真を撮影した。
  8.胎内納入品保存方針検討
  9.胎内納入品移送
    胎内納入品を神奈川県立金沢文庫まで移送した。
  10.修復銘札納入
    今回の修復の記録として、像名、修復年月日、ご住職様名、修復工房名、今回の東日本大震災で損傷を被った経緯などを記入した修復銘札1枚と、発見された胎内納入品の目録1枚をヒノキ板に記入していただき、納入した。
  11.胎内構造強化
    胎内の矧目に合成樹脂を注入し、構造を強化した。
  12.再接合
    首をエポキシ系接着剤を用いて再接合した。
  13.表面彩色強化
    当初は剥落止め処置は行わない予定であったが、精査すると、彩色層の強度が弱っている箇所もあり、膠水溶液を塗布し彩色塗膜の強化を行った。
  14.補修
    漆木屎(漆+小麦粉+木粉)を用いて補修を行った。
  15.下地
    補修箇所に錆漆下地を施した。
  16.漆塗り
    必要な部分に弁柄漆を塗った。
  17.金泥
    違和感のない色の金泥を選び、金泥を施した。
  18.色合わせ
    補修した部分にのみ周囲と違和感のないよう補彩を施した。
  19.修復完成写真
    修復が完成した状態を写真に記録した。
  20.修復図面作成
    修復した部分が分かる修復図面を作成した。
  21.修復報告書作成
    修復前後や損傷状況、修復作業の写真を使用した修復報告書を作成した。
  22.搬出
    文化庁の審議会のために、日本通運美術梱包様により東京に搬送していただいた。

[台座](本体と重複する部分は省略)
  1.清掃
    表面のホコリ、ススを除去した。
  2.解体
    全ての部材を一旦解体した。
  3.解体写真
    解体した様子を写真に記録した。
  4.燻蒸
    予定にはなかったが、框部分から、幼虫が発見され、部材を蒸散性の薬剤と3ヶ月間封入し燻蒸した。
  5.クリーニング
    部材をクリーニングし、汚れを除去した。矧目を清掃し、接着に備えた。
  6.剥落止め@
    下地に膠水溶液を塗布し剥落止めを行った。
  7.剥落止めA
    膠と電気コテを使用し、剥離した漆塗膜を貼りつけ直した。
  8.虫喰い補修
    虫穴に合成樹脂を注入した後、漆木屎で充填整形した。
  9.新補
    上敷茄子の透かし彫りの欠失箇所、心棒、匂の亡失部材、反花の欠失部分、上下蛤座の部材5材、隅足8材をヒノキ材を彫出して新補した。
  10.内部補強
    蓮肉天板に心棒を受ける材を設け、蓮肉?穴を狭めて、台座の構造を安定させた。受座が反り、安定を欠いていたことから、反花下部に矧ぎ材を入れた。
  11.組み立て
     エポキシ系接着剤、ステンレス釘、ステンレス細ビスを併用して組み立てた。框〜反花までを接合し、構造を安定させた。
  12.矧目処理
     接合した継ぎ目を漆木屎を用いて充填整形した。
  13.欠失箇所補修
     小欠失箇所は漆木屎を用いて補修を行った。
  14.光背軸穴の補強
     光背軸穴を狭め、光背が安定するべく処置を行った。
  15.下地
     補修箇所にのみ下地を施した。
  16.漆塗り
     下地を施した箇所に塗り漆を塗った。
  17.漆箔
     補箔が必要な箇所に漆箔を施した。
  18.補彩
     周囲と違和感のないよう、補修部分のみに水干絵具を用いて補彩を行った。

[光背](本体と重複する部分は省略)
  1.解体写真
    解体した様子を写真に記録した。
  2.清掃
    表面のホコリ、ススを除去した。
  3.剥落止め@
    下地に膠水溶液を塗布し強化した。
  4.剥落止めA
    膠と電気コテを使用し、剥離した漆塗膜を貼りつけ直した。
  5.クリーニング
    部材をクリーニングし、汚れを除去した。
  6.組み立て
    エポキシ系接着剤、ステンレス釘、ステンレス細ビスを併用して組み立てた。
  7.新補
    亡失、欠失した箇所をヒノキ材にて新補した。
  8.矧目処理
    接合した継ぎ目を漆木屎を用いて充填整形した。
  9.欠失箇所補修
    小欠失箇所は漆木屎を用いて補修を行った。
  10.下地
    補修個所に膠下地を施した。
  11.漆塗り
    下地を施した部分に塗り漆を塗った。
  12.漆箔
    補箔すべき部分に漆箔を行った。
  13.補彩
    周囲と違和感のないよう、補修部分のみに顔料を用いて補彩を行った。

]U 修復所見
  ・裳先の割損については、最初は、応急的に現地で修復をということであったが、複雑に割れ、割れた部材自体が反ってしまい、現地でうまく抑え込んで接合することが難しく、また、ささくれ状のものが欠失している部分もあり、接合部分に間があいて、接着剤が見えてしまうことも予想された。御像が緻密で保存状態が非常に良いことから、応急修復部分が目立ってしまうことが考えられた。したがって、補修には、矧目処理と色合わせも行う必要があり、首の損傷と合わせて工房に搬出して処置をすることが最善と考えた。
・後世に頭部が開けられた痕跡があり、お寺で何も伝わっていないことから、胎内銘や納入品があることは想像していなかった。当初の予定では、御像は震災による損傷を復旧した後、先にお返しする手筈であったが、胎内納入品が発見され、予定を大幅に変更することとなった。
・胎内納入品の解読は、神奈川県立金沢文庫で2年がかりで行われ、今後、お寺の開基、中世いわき市や真言律宗の歴史についての発見がある事を期待したい。
・元禄十一年(1698)玄慶広峯の修理では、肉身部の金泥が塗り直されてはいるが、造像当初の土文や彩色には手をつけず、当初部分を尊重して修理が行われている。顔面には古い漆塗膜に出来る断文がみてとれ、後世の肉身部の塗り直しは、造像当初の造形をさほど害していないと考える。着衣の土紋は鎌倉時代の鎌倉でしか流行しなかった技法で、本像はその技法を非常に保存状態良く残されている。特に背面の保存状態は良い。
・元禄十一年の修理時に納入された納入品も、近世の仏師の資料としても貴重。また、地域の歴史の中でも松賀族之助の名前もあり貴重である。

◆修復後記


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